メルセデス・ベンツ・S
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:31 UTC 版)
「ルドルフ・カラツィオラ」の記事における「メルセデス・ベンツ・S」の解説
1927年6月、出身地近くのアイフェル山地に建設されていた全長23km近くになる巨大なサーキットである「ニュルブルクリンク」が完成した。同月、同サーキットで最初の四輪自動車レースとなる第1回アイフェルレンネン(英語版)が開催され、メルセデス・ベンツ・Sタイプ(英語版)(W06)に乗ったカラツィオラがこのレースで優勝し、ニュルブルクリンク最初のレースの勝者となる。フェルディナンド・ポルシェの手になるSタイプは強力な馬力を誇り、この年にカラツィオラが収めた11回の優勝のほとんどに貢献をした。 1928年には発展型の「SS」が開発され、同年中にSSをさらに発展させた「SSK」が開発された。カラツィオラはSSで同年のドイツグランプリ(ニュルブルクリンク)を再び制し、ヒルクライムでも1930年にSSKでヨーロッパヒルクライムチャンピオンを獲得した。 1929年4月には第1回モナコグランプリにSSKで参戦し、レース序盤にウィリアム・グローバー=ウィリアムズ(英語版)とトップを争ったものの、ピットストップの際に給油に4分半もかかるというトラブルがあり、この後れを取り戻すことはできず、3位に終わった。8月にイギリスのベルファストで開催されたツーリスト・トロフィー(英語版)では雨のレースを制して優勝するなど、多くのレースで優勝を重ね、カラツィオラはメルセデスチームのワークスドライバーとして1930年まで活躍を続けた。
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