ユダヤ人問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:26 UTC 版)
「国民同盟 (イタリア)」の記事における「ユダヤ人問題」の解説
MSI時代からの大きな変化としては、ユダヤ人問題に対する謝罪が挙げられる。もともとイタリア・ファシズムはナチズムに比べて人種主義に関心を持っておらず反ユダヤ色は薄かったが、後にナチズムの影響もあって白人至上主義を掲げ人種法の制定を行っており、イスラエルらは敵視されていた。親米主義を対外路線として掲げる以上、最大の親米国イスラエルとの関係改善は困難だが必要な課題であった。 2002年にイスラエル国防軍が生誕教会に立てこもったパレスチナ解放軍と睨み合っていた際、イスラエル側を支持する形で支援を行った。これを切っ掛けに関係改善へ向けた両者の交流が始まり、最終的にはイスラエルのアリエル・シャロン首相とジャンフランコ・フィーニ党首の会談が成立する。かつてファシストを信奉した人間として初めてイスラエルを訪問したフィーニは人種法制定は誤りであり、「イタリア・ファシズムは全くの悪」と謝罪、イスラエルとの良好な関係が築かれた。 しかし同時にイタリア・ファシズムへの批判は(仮に建前としても)党内強硬派の逆鱗に触れ、アレッサンドラ・ムッソリーニを初めとする何人かの古参議員が離脱した。だがイタリア国民間では過去の清算は概ね好意的に受け止められた。フィーニがMSI時代から続けた穏健化改革の結果、国民同盟は中道右派(フォルツァ・イタリア党など)との更なる連帯が可能となった。
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