ラダ・ビノード・パール
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ラダ・ビノード・パール(英語: Radhabinod Pal, ベンガル語: রাধাবিনোদ পাল, ヒンディー語: राधाबिनोद पाल, 1886年1月27日 - 1967年1月10日)は、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。ベンガル人。
注釈
- ^ 1930年、1938年にも選出された。
- ^ インドは1947年にイギリスから独立している。従ってパールの立場は、裁判が開始された1946年の時点では「英領インド代表判事」、結審した1948年では「独立インド代表判事」と変化している。
- ^ インド代表判事選任にあたっては、高裁の現職判事あるいは少なくとも定年退職した元判事から選ぶとされていた。
- ^ 太平洋出版社。
- ^ 田中は「日本無罪論 (Japan Not Guilty)」に対する異議をパールが唱えていないと主張している。
- ^ 新版に『パール判事の日本無罪論』(小学館文庫、2001年 - 初版は1963年に慧文社)がある。
- ^ 1948年12月6日付けのベンガル州知事への書簡[39]。
出典
- ^ 東京裁判研究会『共同研究 パル判決書 (下)』 講談社学術文庫 P749, P750
- ^ 中里成章『パル判事 インド・ナショナリズムと東京裁判』(14頁、岩波新書、2011年2月)
- ^ a b c d e f g h i j k l 野呂浩 2008, p. 44.
- ^ 野呂浩 2008, p. 46.
- ^ 「書評 中島岳志著『パール判事──東京裁判批判と絶対平和主義──』」71頁 hdl:2344/00007237
- ^ 2009年9月5日 朝日新聞夕刊「『日本無罪諭』パル判事 選任手続きに誤り」
- ^ 中里成章『パル判事』90 - 100頁、岩波新書、2011年。
- ^ 野呂浩 2008, p. 43.
- ^ 田中正明『パール判事の日本無罪論』(昭和38年)
- ^ 野呂浩 2008, pp. 45–46.
- ^ 鈴木穣 (2007年8月22日). “パール判事長男の思い”. 東京新聞. オリジナルの2007年8月26日時点におけるアーカイブ。 2010年10月18日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 野呂浩 2008, pp. 44–45.
- ^ a b パル判決書下566頁
- ^ 講談社版パル判決書下 671ページ
- ^ 講談社版パル判決書下 671-672頁
- ^ 講談社版パル判決書下 672頁
- ^ 講談社版パル判決書下 589頁。
- ^ 東京裁判のパール判事とは? 『しんぶん赤旗』2007年9月5日
- ^ 講談社版パル判決書下 580頁
- ^ a b 講談社版パル判決書下 590頁
- ^ 水間 2013, p. 33
- ^ 「東京裁判とその後」訳文・牛村圭『「勝者の裁き」に向きあって』、244 - 245p、ちくま新書
- ^ B.V.A レーリンク/A.カッセーゼ著・小菅信子訳・粟屋憲太郎解説『レーリンク判事の東京裁判』新曜社、1996年
- ^ 「諸君」2008年1月号の論文
- ^ B.V.A レーリンク/A.カッセーゼ/小菅信子訳・粟屋憲太郎解説『レーリンク判事の東京裁判』新曜社、1996年
- ^ 『東京裁判・原典・英文版 パール判決書』 国書刊行会 1999年7月 ISBN 978-4-336-04110-4
- ^ a b c d 水間 2013, p. 2
- ^ 中里成章『パル判事 インド・ナショナリズムと東京裁判』(66頁、岩波新書、2011年2月)
- ^ 中里成章『パル判事』197頁には、意見書の出版に関して日本の弁護団がパルに送った英文書簡(1951年5月19日付け)が紹介されており、その中で、「出版物のタイトルは『平和のバイブルー国際軍事裁判におけるR・B・パル閣下の判決』となりましょう」と記述されていることが紹介されている。
- ^ 中里成章『パル判事』197 - 198頁によれば、上記書簡に対してパル側は次のように返事をしている。「私になにか金銭を与えるご意向をお持ちならば、その金銭は私に与えるのではなく、原爆の被災者の皆様の救援にお使いいただければ幸いに存じます。」
- ^ 中里成章『パル判事』197 - 200頁
- ^ 『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』白水社、2007年。
- ^ 『ゴー宣SPECIAL「パール真論」』2008年
- ^ 中島岳志・西部邁共著 『パール判決を問い直す 「日本無罪論」の真相』講談社現代新書、2008年
- ^ 牛村圭「中島岳志著『パール判事』には看過できない矛盾がある」(「諸君!」2008年1月号)
- ^ 『パル判事』岩波新書、2011年2月
- ^ ベルト・レーリンク『レーリンク判事の東京裁判―歴史的証言と展望 』1996年 [要ページ番号]
- ^ インド訪問の安倍首相/パール判事遺族と面会 なぜ 『しんぶん赤旗』2007年8月22日
- ^ 内藤雅雄「M.K.ガーンディーと日本人」『アジア・アフリカ言語文化研究』63号(2002年)
- ^ 中里成章『パル判事』112頁
- ^ 雑誌『世界』 2013年9月号 87ページ
- ^ “訪印中の安倍首相、東京裁判のパール判事の息子らと面会”. www.afpbb.com. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相”. 産経ニュース. (2014年9月2日) 2015年9月6日閲覧。
- ^ “【賞賛される日本】中韓と異なるインドの歴史観と「インパール戦争」の評価”. ZAKZAK (産経新聞社)
- ^ a b 小神野真弘『アジアの人々が見た太平洋戦争』 平成27年4月10日 第一刷発行 彩図社 ISBN 978-4-8013-0066-8 248頁
- ^ 『毎日新聞』1952年11月4日「“原爆娘”登壇に感動 世界連邦アジヤ会議」
- ^ 「世界に告ぐ(広島にて、世界連邦アジア会議における提言)」『平和の宣言』小学館版108-113頁。
- ^ 野呂浩 2008, p. 45.
- ^ 「平和の宣言」(小学館版 91-92頁)
- ^ 中島岳志・西部邁『パール判決を問い直す 「日本無罪論」の真相』(講談社現代新書、2008年)は、本書に批判的。
- ^ 渡部昇一『日本は侵略国家だったのか 「パル判決書」の真実』(新版・ワック、2012年)は、本書を支持している。
- ^ 解説に、太平洋戦争研究会『東京裁判「パル判決書」の真実 なぜ日本無罪を主張したのか』(PHP研究所、2006年)
- ^ 解説に、都築陽太郎『東京裁判で真実は裁かれたのか?』飛鳥新社、2018年
- 1 ラダ・ビノード・パールとは
- 2 ラダ・ビノード・パールの概要
- 3 東京裁判判事選任の経緯
- 4 著書
固有名詞の分類
国際法学者 | 寺尾亨 皆川洸 ラダ・ビノード・パール 杉原高嶺 リチャード・フォーク |
法哲学者 | 三谷隆正 永尾孝雄 ラダ・ビノード・パール 碧海純一 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル |
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