ラバウルおよびギルバートへの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:25 UTC 版)
「インディペンデンス (CVL-22)」の記事における「ラバウルおよびギルバートへの攻撃」の解説
「ラバウル空襲」および「ブーゲンビル島沖航空戦」も参照 インディペンデンスは10月21日、エスピリトゥサント島に向けて真珠湾を出撃した。この頃、ブーゲンビル島の戦いが始まりつつあり、ウィリアム・ハルゼー大将が率いる第3艦隊 (U.S. Third Fleet) は空母機動部隊でブーゲンビル島への上陸を援護していた。折りしも、第二艦隊司令長官栗田健男中将が率いる日本艦隊の動向が、連合国軍の注目を集めていた。ハルゼー大将は麾下の機動部隊に、トラック泊地からニューブリテン島ラバウルに移動した栗田艦隊(遊撃部隊)を攻撃するよう命じた。11月5日に大型空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) および軽空母プリンストン (USS Princeton, CVL-23) の第38任務部隊(フレデリック・C・シャーマン少将)を使って最初のラバウル空襲を行う。ラバウルに進出したばかりの栗田艦隊は大被害を受け、呆気なくトラック泊地へ逃げ帰った。ハルゼー大将は上陸支援のためダメ押しの攻撃を命じ、第38任務部隊に加えてガルヴァニック作戦が迫っていた第5艦隊からも部隊を借りることとした。 インディペンデンスは、空母エセックス (USS Essex, CV-9) およびバンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CV-17) とともに、その借りてきた部隊である第50.3任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)に属していた。第50.3任務部隊は11月5日にエスピリトゥサント島に到着した後、整備と補給の後11月8日に出撃した。11月11日、両任務部隊はラバウルを挟み撃ちする形で空襲を行い、ラバウル港内にいた駆逐艦涼波を撃沈、軽巡阿賀野や駆逐艦長波などに相当のダメージを与えるなど、第二水雷戦隊と第十戦隊の各艦に打撃を与えた。日本軍は反撃のためラバウル航空隊の航空機と、第一航空戦隊の艦上機を繰り出してきたが、大戦果報告とは裏腹に、特筆すべき戦果もなく撃退された(第三次ブーゲンビル島沖航空戦)。さらに艦上機に大損害を受けたことで、後述するアメリカ軍のタラワ攻略作戦がはじまった時に、空母機動部隊による有効な反撃をおこなえなかった。インディペンデンスの砲手は6機の日本軍機を撃墜した。第50.3任務部隊はこの後エスピリトゥサント島に帰投して燃料を補給し、ギルバート諸島に向かった。 「ガルヴァニック作戦」および「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」も参照 11月18日以降、アメリカ軍機動部隊はタラワ攻略とマキン攻略に先駆けて、ギルバート諸島に対する空襲を開始する。つづいてタラワに対する空襲や艦砲射撃がおこなわれ、11月20日(日本時間21日)にはタラワ上陸作戦が始まった。同日夕刻、ルオット島から飛来した第七五五海軍航空隊の一式陸上攻撃機14機が、第50.3任務部隊を襲った。インディペンデンスは6機の日本軍機の撃墜を記録したが、5本の雷撃を受けそのうち1本が右舷に命中した(第一次ギルバート諸島沖航空戦)。薄暮攻撃を敢行した一式陸攻は7機が未帰還となった。船体を破損したインディペンデンスは、重巡洋艦ペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) などの護衛を受け、11月23日にエリス諸島のフナフティ島に向かった。同地で工作艦ヴェスタル (USS Vestal, AR-4) の世話になり、応急修理を受けた。インディペンデンスは本格的修理のためにアメリカ本土にむかい、1944年(昭和19年)1月2日サンフランシスコに帰投した。インディペンデンスは修理でカタパルトが増設され、修理完了後7月3日に真珠湾に戻った。この間、マーシャル諸島、トラック泊地、サイパン島などから日本軍の兵力がほぼ一掃され、日本海軍の空母機動部隊は再起不能となっていた。
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