ルソン島沖の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 16:40 UTC 版)
8月17日朝、輸送船15隻と護衛艦13隻の編制になったヒ71船団は、馬公を出発した。18日明け方、船団は哨戒中の米潜水艦レッドフィッシュに発見された。レッドフィッシュは付近にいた友軍潜水艦に獲物の到来を通報した。 同日、船団は最も危険と見られる、バタン諸島とルソン島間のルソン海峡を目視警戒に有利な日中のうちに通り抜けようとしていた。しかし、午前5時半ころ、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯20度28分 東経121度04分 / 北緯20.467度 東経121.067度 / 20.467; 121.067の地点でタンカー永洋丸(日本油槽船、8,674総トン 独立混成第56旅団等354名、航空機8、ドラム缶若干)が魚雷1発を受けた。これは、レッドフィッシュの攻撃だった。永洋丸は沈没を免れたものの、便乗中の独立混成第56旅団の将兵35人が戦死した。損傷した永洋丸は船団から分離され、駆逐艦夕凪の護衛で高雄に入港した。 大鷹は、搭載機を発進させて周囲の警戒を開始した。上空警戒機が飛行している間は潜水艦の出現が無くなったが、日没が来ると母艦に収容しなくてはならなかった。ルソン海峡航行中、船団の隊形は輸送船が2列縦隊で並び、周囲を護衛艦が取り巻く形に変わっていた。 18日夜に入り、船団は速力を16ノットまで上げてルソン島沿岸を目指した。なんとかルソン島北西岸に近づいたところで、天候が急変して風速12mの暴風雨となった。視界の悪化で対潜監視は困難な状態となり、船団の隊形も次第に乱れた。一方、レッドフィッシュの通報で集まったアメリカ潜水艦は、レーダーを活用して日本船団に忍び寄り攻撃を開始した。午後10時20分頃、船団最後尾の空母大鷹が北緯18度12分 東経120度22分 / 北緯18.200度 東経120.367度 / 18.200; 120.367付近を差し掛かったところで、潜水艦ラッシャーから真っ先に雷撃された。大鷹は航空機用ガソリンタンクと重油タンクに引火して大爆発を起こす。被雷より約30分後に沈没した。 大鷹の轟沈は船団各船を動揺させた。船団は直ちに退避行動に移ったが、視界不良かつ無灯火のため隊形は崩壊した。ヒ71船団の進行方向左側にはルソン島があって座礁の危険性があり、右側(沖合)にはアメリカ潜水艦が待ち構えるという状況だった。アメリカ潜水艦群は、1隻ずつバラバラになって全速で逃げる日本輸送船をレーダーを駆使して追跡し、夜明けまでに次々と襲撃した。午後11時10分に客船帝亜丸(帝国船舶、17,537総トン 南方軍補充員軍政要員等、5,190名 軍需品4,434立米)が、これもラッシャーによって撃沈されたのを皮切りに、同じくラッシャーにより貨物船能代丸(日本郵船、7,184総トン)中破、米潜水艦ブルーフィッシュにより給油艦速吸沈没と貨客船阿波丸(日本郵船、11,249総トン 南方軍補充員等3,236名、地上兵器・航空兵器その他 計3,236立米)小破、米潜水艦スペードフィッシュにより陸軍特殊船玉津丸(大阪商船、9,590総トン 第二十六師団人員等、4,460名、隊貨物1,518立方メートル、車両42)沈没のほか、タンカー帝洋丸(日東汽船、9,850総トン)が沈没するなど大損害を出した。空船のタンカーは見逃して軍隊輸送船が狙い撃ちにされたとの解説もあるが、アメリカ側も混乱状態で選り好みする余裕はなかったとも言われる。
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