レッドブル時代
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「エイドリアン・ニューウェイ」の記事における「レッドブル時代」の解説
マクラーレンから離れたニューウェイは、長期休暇をとるか、または完全にF1のデザイン業務から引退すると予想されていた。2005年11月9日、それまでの大方の予想を覆し、レッドブルチームのスポーティングディレクターのクリスチャン・ホーナーから、ニューウェイがマクラーレンとの契約終了後の2006年2月に同チームに移籍するということが発表された。ポジションは最高技術責任者(CTO)で、マシン開発を行う「レッドブル・テクノロジー」からレッドブル・レーシングへ派遣される形となる。2009年までは、姉妹チームのトロ・ロッソにもレッドブル・テクノロジーからマシンが供給された。 レッドブルではすぐには結果が出なかったが、デザインに関する裁量権を与えられ、自身を中心とするエンジニアリングチームの構築を行った。2008年イタリアGPで、レッドブルよりも先にセバスチャン・ベッテルがトロ・ロッソに初勝利をもたらした(ベッテル自身もF1初優勝だった)。 2009年、空力規定の大幅な改訂にあわせてRB5を開発。レッドブルは中国GPで初優勝し(ドライバーはベッテル)、優勝を争うトップチームのひとつに躍進した。同年のブラジルGPでマーク・ウェバーが優勝し、自身の手掛けたマシンが通算100勝目を達成した。 2010年以降はRB5をベースに進化型のマシンを投入。プルロッドの採用やブロウンディフューザーの開発など、車体のリアエンドの空力設計において独創性を発揮した。同年にはRB6を擁してレッドブルがダブルタイトルを制覇し、ニューウェイがデザインしたマシンでのコンストラクターズチャンピオン獲得は1998年のマクラーレン時代以来となった。2011年もRB7が年間19戦中18ポールポジションを獲得し、ダブルタイトルを連覇した。 2014年6月、翌2015年用のマシンであるRB11を最後にF1の現場を離れ、チームのアドバイザーとして関与は続けるものの一線を退く方針を明らかにした。 同年にレッドブルが新たに設立した「レッドブル・アドバンスド・テクノロジー(RBAT)」の責任者に就任。RBATでは最初のプロジェクトとして、第35回アメリカスカップ(2017年)に参加するベン・エインズリー・レーシング(ランドローバーとパートナーシップを結び、ランドローバーBARとして参加)と共同で、同レース用のヨットを開発することを明らかにした。2016年、レッドブルとアストンマーティンで共同開発したハイパーカー「アストンマーティン・ヴァルキリー」(コードネーム「AM-RB001」)をデザインした。 ただ一方で、レッドブル・レーシング代表のクリスチャン・ホーナーが2017年を目処にニューウェイのF1復帰を画策していることを明らかにした。実際に2016年のRB12には20%しか関与していないが、2017年のRB13はニューウェイが50%関与することになるとホーナーが述べている。 ホンダとのパートナーシップを開始する2019年からF1の業務に本格復帰することになった。一方で、同年から開始する女性限定のフォーミュラカーレース「Wシリーズ」を、デビッド・クルサードらと共同で立ち上げ。同秋には、2021年開催予定の電動SUVによる新シリーズ「エクストリームE」(Extreme E)参戦に向けて、新チーム「ベローチェ・レーシング」をジャン=エリック・ベルニュらと共同で設立した。
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