一号機関車とは? わかりやすく解説

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一号機関車〈/一八七一年、英国製〉

主名称: 一号機関車〈/一八一年英国製〉
指定番号 88
枝番 0
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1両
時代区分 欧米 19世紀
年代 1871
検索年代 1871
解説文: 明治五年(一八七二)の鉄道開業に際して英国から輸入され蒸気機関車一〇両のうちの一両で、付番から「一号機関車」の呼称知られている(表紙写真)。
 近代的交通機関としての鉄道重要性は、幕末から識者の間に了解されており、欧米諸国もまた新興日本における鉄道敷設積極的に図っていた。明治新政府は、明治三年英国との間で、関税鉄道事業収入抵当借款行って官営鉄道敷設することを取り決め建設師長エドモンド・モレルはじめ英国人技術者招聘し、併せて建設資材および車両発注した。また民部・大蔵省鉄道掛を設置し(四年に工部省鉄道寮に改組)、鉄道頭兼鉱山井上勝中心として建設工事執行体制整えた
 英国発注され一〇両の機関車製造五社分担したが、本車両は、ランカシャーのヴァルカン・ファンドリー社製になる唯一ののである軌間フィートインチ一〇六七ミリメートル)、一つ先輪二つ動輪をもち、炭水供給部が一車両内にある一B形タンク式機関車である。一八一年二月竣工し英国において最初に検査通過したため、一号番号付された。同年日本到着して試運転が行われ、明治五年九月一二日(一八七二年一〇月一四日)の新橋横浜開業後、運行開始した。なお、同時に製造され一〇両のうち、本車両以外に一〇機関車のみが現存しており、東京都青梅市青梅鉄道記念公園野外展示されている。
 明治十三年に神戸転属となったが、神戸工場で、ボイラ位置変更蒸気ドーム大型化煙突運転室形状変更などの改造が行われ、性能の向上が図られた。そのため外観当初から大きく変化したその後武豊線大船横須賀間、大阪駅構内入替線と転属された後、明治四十四年、長崎県島原鉄道譲渡された。すでにこのころには日本最初の蒸気機関車として広く知られるようになっており、昭和五年(一九三〇)には再び国に返還され昭和十一年に鉄道博物館現在の交通博物館)が万世橋移転した際、その展示物となった昭和三十三年日本国有鉄道鉄道記念物制度発足ともなって鉄道記念物第一号の指定を受け、保存図られてきたが、国鉄の分割民営化により、東日本旅客鉄道株式会社移管され、今日至っている。
 本車両は日本国内初め運行した蒸気機関車のうちの一両であり、わが国近代交通史の黎明象徴する文化財として価値が高い。また、鉄道関係者の努力によって早くから積極的な保存図られてきたことも特筆される



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