三代・善成王とは? わかりやすく解説

三代・善成王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:25 UTC 版)

四辻宮」の記事における「三代・善成王」の解説

成王延文元年1356年)に臣籍降下源善成四辻善成)を名乗るが、以後四辻宮名乗っていたという(『後愚昧記』)。臣籍降下後親王宣下されることを望んでいたがかなわず応永2年1395年出家した。 善成王四辻善成)の唯一の男子とされる蔭常宗は早く出家して応永14年1407年)に没しており、以後子孫邸宅所領相続など不明であり、四辻宮名乗る人物未詳である。

※この「三代・善成王」の解説は、「四辻宮」の解説の一部です。
「三代・善成王」を含む「四辻宮」の記事については、「四辻宮」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの四辻宮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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