三番目の国旗『Blood Stained Banner』
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「アメリカ連合国の国旗」の記事における「三番目の国旗『Blood Stained Banner』」の解説
三番目の国旗『ブラッド・ステインド・バナー』(血染めの旗)は1865年3月4日、連合国崩壊の寸前に制定されごく短期間使用された。付け加えられた赤い垂直の条は、旗がなびいていないときに白旗と間違われないためのものである。縦横比は3:4。この旗の提案者であるアーサー・L・ロジャース少佐は、二番目の国旗は戦場で危険であるとして、議会で国旗改定を訴えるロビー活動を行った。ロジャースは、垂直の条を赤くしたのは、「ヤンキーの旗」の青と似た部分を最大限減らすためであり、同時に南軍旗部分のX型十字(セント・アンドリューズ・クロス)はスコットランド国旗に、付け加わった赤い条はフランス国旗に由来し、それぞれ南部の人々の祖先の地を表すとしている。 アメリカ連合国議会が定めた1865年の国旗法によれば、「幅は長さの3分の2で、正方形のユニオン(南軍旗)を旗の幅の5分の3になるように配し、ユニオンの横の余った部分の長さを、ユニオンの下の余った部分の幅の2倍にするようにする。ユニオンは赤地に青のX型を配し白でふちどり、その上に連合国を構成する州の数を表す5つの先端のある星型を飾る。旗全体の地は白で、ユニオンの残りの長さの半分を幅いっぱいの赤に塗る」、とされている(連合についた州は11州だったが、ミズーリ州とケンタッキー州の反対党派が連合に合流したため、13州とされることもある。南軍旗の星の数は13である)。しかし国旗法の通過から、国旗の大量生産までの間に連合国は戦いに敗れて崩壊し、人々が三番目の国旗を目にすることはほとんどなかった。 ? 1861年3月4日–1861年5月21日 ? 1861年5月21日–1861年7月2日 ? 1861年7月2日–1861年11月28日 ? 1861年11月28日–1863年5月1日 ? 1863年5月1日–1865年3月4日 ? 1865年3月4日–1865年5月26日
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