上司として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 14:42 UTC 版)
相馬は部下の提案を即座には受け入れない癖があった。また、相馬が部下を叱るときには周り中に聞こえる大声だった。例えば1931年頃の大晦日、小田原のある建物の屋上の「明治チョコレート」の看板が秋の台風でやや曲がっているのを発見すると、明治商事菓乳部の常務を電話口に呼び出し、「看板が今にも落ちそうな場所があり、明日元旦というのに不体裁である。本日中に修繕せよ」といった風だった:280。あまりにしょっちゅう怒鳴り散らすため、「相馬台風」とのあだ名が付けられた。ただし相馬は、大声で叱った後は大声で笑って場をとりなそうとするのが常だった。 相馬に何か提案する時は、機嫌が悪い時には通るものも通らなかったので、周囲は相馬の機嫌を確認するよう注意を払っていた:309。また、部下の独断を嫌い、例えば部下が指示を独断で変更したことを知った際には社長室でテーブル掛けごと煙草盆を投げ飛ばしたこともある:197。 ただし、自身は癇癪を起こしているつもりはなかった。明糖事件で拘留された際、娘婿に「お父さん、これからはあまり怒らないほうがいいですよ」と注意されると「だれがお前にそんなことを言ったのか、俺は怒ったことはなく、注意しているだけだ」と返している:291。
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