うえだ‐かずとし〔うへだ‐〕【上田万年】
上田萬年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 08:24 UTC 版)
上田 萬年(うえだ かずとし / うえだ まんねん[1]、1867年2月11日(慶応3年1月7日) - 1937年(昭和12年)10月26日)は、日本の国語学者、言語学者。東京帝国大学名誉教授、國學院大學学長、神宮皇學館館長、貴族院議員。国語研究室の初代主任教授、東京帝国大学文科大学長や文学部長を務めたほか、文部省専門学務局長や臨時仮名遣調査委員会の委員等を務めた。小説家円地文子の父。
注釈
- ^ 「博言学」はPhilologyの訳で、「言語学の当時の呼び方」とするのは少しずれる。
- ^ 教え子には亀田次郎、金田一京助、新村出、時枝誠記、橋本進吉、保科孝一らがいる[2]。
- ^ 上田は音義説や神代文字などの非科学性を批判する一方で、本居宣長や富士谷成章などの実証的研究を高く評価しており、彼らの業績を位置づけている[4]。
- ^ 上田が日本の言語学および国語学において果たした役割について、「近代「国語」学の道を拓いた」「「四千万同胞」の日本語に注目した」「口語を重視し、「科学的」研究法を導入した」「「標準語」概念を普及させると同時に、方言研究にも道を拓いた」の4点が挙げられる[5]。
- ^ 「発音式仮名遣い」と呼ばれる[要出典]。
出典
- ^ 上田萬年 国立国会図書館
- ^ a b 清水康行 2016, p. 109.
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断:近代編』(吉川弘文館、2010年)p.51. ISBN 9784642080354
- ^ 清水康行 2016, p. 111.
- ^ 清水康行 2016, pp. 110–111.
- ^ 山口謠司 2016, pp. 282–298.
- ^ 山口謠司 2016, pp. 12–19.
- ^ 保科孝一「故上田先生を語る」『国語と国文学』第14巻12号、1937年、pp.119–120.
- ^ 長田俊樹「日本語系統論はなぜはやらなくなったのか:日本語系統論の現在・過去・未来」『日本語系統論の現在』日文研叢書31、2003年、pp.404–405.
- ^ 長田俊樹 2023, p. 264.
- ^ a b 伊波普猷 鳥居龍蔵の沖縄調査に同行 - 徳島新聞 2022年2月3日
- ^ 長田俊樹 2023, pp. 253–256.
- ^ 『官報』第1123号「叙任及辞令」1916年5月2日。
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