不平等な待遇表現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 20:41 UTC 版)
前項で、「教育の場や標準としての言語の中で相手を卑下し、悪口する表現が取り上げられることは少ない」とあったが、これを軽蔑の意図や構図が実際に会話に現れることが通常稀であると理解するのであれば、それは現実と大きく懸け離れている。 Brown and Gilman (1960:271) は、例としてこの当時のアメリカですでに、労働者がその上司に非対称な丁寧な呼称を使うとしたら、人間としての尊厳が破られていると感じうるだろうと述べている。しかし、山下 (2009:75) および山下 (2012) によると、Ammon (1972) は、このような待遇表現の変化に対して、イデオロギー上、人間が平等になったのだからという理由で、貴賎・主従・尊蔑の待遇表現をなくしたとしても、人間社会である以上は力や権威の差があり、現実の不平等があるため、これだけでは却って現実に確固として存在する不平等を隠す効果を持っていると指摘している。そして、Brown and Gilman (1960) は、イデオロギー上の平等化の陰にある、相変わらず継続する実際の力の不平等を見ていないと批判している。
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