中央軍事委員会
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中央軍事委員会(ちゅうおうぐんじいいんかい)
- 1 中央軍事委員会とは
- 2 中央軍事委員会の概要
中央軍事委員会
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「朝鮮労働党中央軍事委員会」も参照 朝鮮労働党の最高軍事政策決定機関。党規約第27条には、「党の軍事政策を遂行する方策を討議・決定し、朝鮮人民軍をはじめとする武力全般の強化と軍需産業の発展に関する事業を指導し、我が国の武力を統括する」と中央軍事委員会の職権が定められている。1962年12月の第4期中央委員会第5回総会において金日成が提唱した「四大軍事路線」を推進するため、中央及び道・市・郡単位の各級党委員会に軍事委員会を設置した。1970年11月、第5回党大会の決議に基づき、党中央委員会内に軍事委員会が正式に設置された(当時の名称は中央委員会軍事委員会)。1984年、中央委員会より独立し党中央軍事委員会となった。 金日成執権時代には、憲法による国家主席と国防委員会委員長の兼職規定により、金日成国家主席が国防委員長と党中央軍事委員会委員長を兼務していた。1993年に国家主席と国防委員長の兼職規定が廃止されたことにより、金日成国家主席は党中央軍事委員会委員長を引き続き務めたまま、金正日が新たに国防委員長となり党中央軍事委員会においては序列2位となった。金日成の死後、党中央軍事委員会委員長の地位は空席となり金正日が委員長の権限を代行していたものとみられていたが、金正日は先軍政治を標榜し1998年の憲法改正で国防委員会が事実上の国家の最高指導機関と位置づけられたため、党中央軍事委員会は形骸化し正確な委員構成も分かっていなかった。形骸化した党中央軍事委員会には朝鮮人民軍内の党組織を指導する権限しかなかった。2009年2月、金正日が国防委員長兼朝鮮労働党中央軍事委員会委員長として金永春の人民武力相任命の人事発令をしたことで、金正日の中央軍事委員会委員長就任が初めて確認された。2010年9月28日の第3回党代表者会を受けて開催された中央委員会総会で金正日が党中央軍事委員会委員長に再選され、金正日の三男である金正恩(党中央委員・朝鮮人民軍大将)と朝鮮人民軍総参謀長の李英鎬(党政治局常務委員)が新設の副委員長に任命された。 金正日の死去を受けて、2012年4月11日の第4回党代表者会で金正恩が党中央軍事委員会委員長に、崔竜海が副委員長に選出された。李英鎬は副委員長に留任したものの、同年7月に失脚し、解任されている。第7回党大会終了時点で委員長の金正恩と委員の11名の計12名から構成されている。また、金正恩が最高指導者に就任した後に行われた軍事的な決定は国家機関の国防委員会よりも、党機関の党中央軍事委員会で下されることが多くなっており、党の役割が再強化されたといわれており、その後国防委員会は廃止されて国務委員会に改編された。 なお、「党中央軍事委員会は党中央委員会全員会議で組織される」ことから党中央委員会と同地位にないとも考えられるが、「両機関名でスローガンが出されることもある」ため、序列は不明である。
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