中河幹子とは? わかりやすく解説

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中河幹子

読み方なかがわ きみこ

歌人共立大教授。明治28年(1895)香川県生、東京住。津田女子英学塾卒。『日光同人女流誌『をだまき』主宰者北原白秋影響を受け象徴的ではあるが、情熱的な意志しっかりした作風をもつ。著書に『新しき短歌理論』『夕波』等がある。

中河幹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 12:25 UTC 版)

中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 1980年10月26日)は、日本国文学者歌人中河与一の妻。旧姓は林。


  1. ^ 中河与一年表荒木優太、2015年05月05日
  2. ^ 『昭和文学研究』第 52 号、昭和文学研究会, 2006、p17
  3. ^ 林寿枝子国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 『「婦人雑誌」がつくる大正・昭和の女性像 第23巻』岩見照代 監修、ゆまに書房, 2016.4「男まさり令嬢事業家の座談会 小池起与子, 林寿枝子 ほか 述」の項


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