ちゅう‐どう〔‐ダウ〕【中道】
読み方:ちゅうどう
1 一方にかたよらない穏当な考え方・やり方。中正な道。「—を歩む」「—を旨とする」
2 物事の進行のなかほど。達成する途中。「志むなしく—で倒れる」
3 富士山の中腹をめぐる道。また、その道をめぐること。「—めぐり」
4 仏語。二つの対立するものを離れていること。不偏で中正の道。原始仏教では苦行と快楽の両極端を退けた考え方。竜樹の哲学ではすべてのものは空(くう)と観じること。天台宗では空・仮(け)の二辺に即して立てる実相の理である中諦(ちゅうたい)。
なか‐みち【中道】
中道
中道
中道
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中道
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中道
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中道
中道
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中道
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仏教用語としての中道(ちゅうどう、梵: Madhyamā-pratipad[注釈 1], マディヤマー・プラティパッド[2]、巴: Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー[3])は、2つのものの対立を離れていること[4]。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと[4]。中行[5]、中路あるいは単に中ともいう[6]。
注釈
出典
- ^ 岩波書店『岩波 仏教辞典 第二版』 714-715頁、春秋社『仏教・インド思想辞典』
- ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 73頁「中道」。
- ^ 『パーリ仏教辞典』 村上真完, 及川真介著 (春秋社) 和訳語索引 2375頁「中道」。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1183頁。
- ^ 『漢訳対照梵和大辞典 増補改訂版』 鈴木学術財団 (山喜房仏書林)、1979年、995頁。
- ^ a b c d e f g h i j 総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、997-999頁。
- ^ a b B・B・ヴィディヤランカール、A・ヴィディヤランカール 『基本梵英和辞典 縮刷版』 東方出版、2011年5月、282頁。
- ^ मध्यमा (madhyamA) - Spoken Sanskrit Dictionary.
- ^ मध्यम (madhyama) - Spoken Sanskrit Dictionary.
- ^ a b c प्रतिपद् (pratipad) - Spoken Sanskrit Dictionary.
- ^ 山中元 『サンスクリット語 - 日本語単語帳』 国際語学社、2004年7月。
- ^ 荻原雲来 『漢訳対照梵和大辞典 増補改訂版』 鈴木学術財団 (山喜房仏書林)、1979年、833頁。
- ^ pratipad (行,正行,通行,現行,行迹,行跡;道,道跡,所行道;通;法;順)[12]
- ^ a b c 中村元ほか編 『岩波仏教辞典 第二版』 岩波書店、2002年10月、714-715頁の「中道」の項目。
- ^ a b c 総合佛教大辞典編集委員会 『総合佛教大辞典』 法蔵館、1988年1月、p.1118の「二辺」の項目。
- ^ 中道 - 創価学会 教学用語検索。
- ^ 中村元 『広説佛教語大辞典 上巻』 東京書籍、2001年6月、363頁の「假観」の項目。
- ^ 中村元 『広説佛教語大辞典 中巻』 東京書籍、2001年6月、1179頁の「中観」の項目。
- ^ 『三諦』 - コトバンク, 『中諦』 - コトバンク
- ^ a b c d e 吹田隆道『ブッダとは誰か』2013年。ISBN 978-4393135686。
- ^ 『八正道・八聖道』 - コトバンク
- ^ 長尾雅人・工藤成樹訳 『世界の名著 1 バラモン教典 原始仏典』 中央公論社、1969年5月、pp435-439の「二 初めての説法(相応部 五六・二)」
- ^ a b 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、704頁。
- ^ 『瑜伽行派』 - コトバンク
- ^ “法相宗とは(教義について)-薬師寺公式サイト|Guide-Yakushiji Temple”. 薬師寺. 2017年5月12日閲覧。
- ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『摩訶止觀 (智顗説)』 (T1911_.46.0020a24: ~): 説是止觀者若行違中道即有二邊果報。若行順中道即有勝妙果報。
- ^ 岩野眞雄・編 『国訳一切経 和漢撰述部 諸宗部2』 大東出版社、1988年、74頁
- 1 中道とは
- 2 中道の概要
- 3 大乗仏教・大乗仏典
- 4 脚注
中道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:36 UTC 版)
快楽主義と苦行主義を否定するものである。 Katamā ca sā bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇi ñāṇakaraṇī upasamāya abhīññāya sambodhāya nibbāṇāya saṃvattīti?Ayameva ariyo aṭṭhaṅgiko maggo, seyyathīdaṃ: sammādiṭṭhi, sammāsaṅkappo, sammāvācā, sammākammanto, sammāājivo sammāvāyāmo, sammāsati, sammāsamādhi, ayaṃ kho sā bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abisambuddhā cakkhukaraṇi ñāṇakaraṇī upasamāya abhīññāya sambodhāya nibbaṇāya saṃvattati. " (南伝大蔵経)比丘等よ、世に二邊あり、出家者は親近すべからず。何をか二邊と為すや。一に諸欲に愛欲貧著を事とするは下劣、卑賤にして凡夫の所業なり、賢聖に非ず、無義相應なり。二に自ら煩苦を事とするは苦にして賢聖に非ず、無義相應なり。比丘等よ、如来は此二邊を捨てゝ中道を現等覺せり、此、眼を生じ、智を生じ、寂静、證智、等覺、涅槃に資するなり。 (参考現代語)比丘たちよ、世の中には二つの極端がある。出家者はそれに近づいてはならない。何が二つの極端なのか。一つめは、欲と愛欲や貪欲をよしとすることで、これらは下劣かつ卑賤、つまらぬ人間のやることで、無意味で無益である。二つめは、自分に苦難を味わわせることは、苦痛であり、無意味で無益である。比丘たちよ、如来はこの二つの極端を捨て、中道を認知したのである。それこそが、観る眼を生じ、英知を得、證智をもち、定(サマーディ)、涅槃に至る道である。 — 大犍度
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中道
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日本一の右打者とも呼び名の高いスラッガーで前年度を含め過去三度の三冠王に輝いている。対孫六のため大型トレードで中京ドジャースからレンジャーズに移籍してきた。孫六について「野球をやるために生まれて来た」と評している。モデルは落合博満。
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「中道」の例文・使い方・用例・文例
- 家に帰る途中道草をした
- 中庸,中道
- 中道路線をとる,中庸の道を行く
- 道路の真ん中;中道
- 中道路線を取る
- 使いの途中道草をくうな。
- 何事にも中道的な立場を取れ。
- 中道を行く.
- 中道[中庸]をとる.
- 中道, 中庸.
- 彼は政治的に中道左寄りだ.
- 一般労働者の利益を体現するために形成された中道左派の政党
- 政治的中道を行く人
- 保守・中道・革新の三極構造という政治構造
- 錐と小刀と鋏という3つの懐中道具
- 中道革新という政治運動
- 中道勢力という政治勢力
- 保守勢力と中道勢力の連合政権
- 保守政党と中道政党が連合すること
- 保守政党と中道政党の連合組織
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