九条稙通
九条稙通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 03:06 UTC 版)
九条 稙通(くじょう たねみち) は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・古典学者。左大臣・九条尚経の嫡男。官位は従一位・関白、内大臣。九条家16代当主。一字名に玖・身。
- ^ 興福寺別当
- ^ 二条尹房室
- ^ 『日本史伝文選(戴恩記)』
- ^ a b 『日本史伝文選(戴恩記 松永貞徳・著)』
- ^ 『明良洪範』
- ^ 『殿暦』
- ^ ただし、信西も「小狐」と名した刀を所持しており、他にも大阪府東大阪市の石切剣箭神社にも小刀「小狐丸」と号する小刀が所蔵されているなど、「小狐丸」銘の刀の混乱が見られる。鎌倉時代には既に、別の刀にすり替わっていたとする説もあり、江戸時代(8代将軍吉宗の頃)には九条家には無く、越前のとある神社に所蔵されていた、などとも伝わる。この神社所蔵の品もいわゆる「写し」であるとの話もあるが、明治時代に入って後、元越前福井藩主の松平春嶽の斡旋により、この神社から九条家が再入手したとされるが、現在の所在は不明。
- ^ 『明良洪範』
- ^ 『多聞院日記』
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