亀井高孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 23:55 UTC 版)
人物情報 | |
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生誕 | 1886年6月8日 日本山形県 |
死没 | 1977年10月4日 (91歳) |
出身校 | 東京帝国大学 |
子供 | 亀井孝(長男・国語学者)、阪田雪子(三女・日本語教育研究者) |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(西洋史) |
研究機関 | 第一高等学校・清泉女子大学 |
亀井 高孝(かめい たかよし、1886年6月8日 - 1977年10月4日)は、日本の西洋史学者。
経歴
旧伊賀旧名張藩主家(藤堂氏)出身の藤堂高矩の二男として、父の赴任地山形県で生まれる。父の没後、亀井家の養子となった。
東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1909年東京帝国大学文科大学西洋史学科卒業。大学院に進学した後、1912年から東京府立第一中学校教諭、1920年から水戸高等学校教授、1923年から一高教授となり、1941年には同教頭。1944年に退官。
戦後、1949年に清泉女子大学文学部教授となり、1961年に退職[1]。
栄典
家族・親族
著書
- 『参考西洋歴史』博文館 1920
- 『最新女子西洋史』興文社 1936
- 『西洋史叢説』幹林図版 1947
- 『東ローマ帝国史』生活社 1948
- 『概説・西洋歴史』(大八洲出版、1948-49)
- 『ローマの歴史』高畠華宵絵 広島図書 銀の鈴文庫 1950
- 『西洋史概要』勁草書房 1951
- 『西洋史夜話』(吉川弘文館、1953)
- 『大黒屋光太夫』(吉川弘文館「人物叢書」、1964)、のち新版
- 『光太夫の悲恋 大黒屋光太夫の研究』(吉川弘文館、1967)
- 『葦蘆葉の屑篭』(時事通信社、1969)
共著
- 『岩波西洋人名辞典』野上豊一郎,石原純共編 岩波書店 1932
- 『概説西洋歴史』林健太郎共著 大八洲出版 1948、のち吉川弘文館
- 『世界歴史対照年表』三上次男,児玉幸多共編 吉川弘文館 1950
- 『世界歴史地図』三上次男共編 吉川弘文館 1950
- 『定本世界史地図』三上次男共編 吉川弘文館 1954
- 『標準世界史地図』三上次男,堀米庸三共編 吉川弘文館 1955
- 『標準世界史年表』三上次男共編 吉川弘文館 1962(のち林健太郎、三上共編)
- 『魯西亜弁語』村山七郎,中村喜和共編著 近藤出版 1972
- 『世界史年表・地図』三上次男,林健太郎,堀米庸三共編 吉川弘文館 1995
校訂など
- 編 三秀舎 1937
- 村山七郎共編 吉川弘文館 1965
- 『北槎聞略 大黒屋光太夫ロシア漂流記』校訂 岩波文庫 1990
脚注
- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ 『官報』第5108号「叙任及辞令」1944年1月26日。
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