二等車とは? わかりやすく解説

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にとう‐しゃ【二等車】

読み方:にとうしゃ

もと国鉄で、旅客サービス三等級があった時代の、第二等級車両


二等車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 14:15 UTC 版)

二等車(にとうしゃ 英語名: Second Class Car)とは、鉄道事業者が自社の保有する旅客用車両等級を分ける際に使用している区分の一つ。


  1. ^ Business Class アムトラック公式ウェブサイト。 2018年6月12日閲覧。


「二等車」の続きの解説一覧

二等車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:44 UTC 版)

国鉄オハ31系客車」の記事における「二等車」の解説

オロ41700形⇒オロ30600形(オロ30形1927年オハ31形グループ先行試作車として2両製造新製当初オロ41700形と呼称されていたが、1928年形式称号改正によりオロ30600形に改称された。さらに1941年称号改正により順番オロ30 1・2と付番された。中・短距離用二等車として使用するため座席ボックスシートとなっていた。このため、窓も2枚一組として窓割り決められていた。しかし、長距離を走るには支障があるため、量産車改良型オロ31となった1961年昭和36年)に、1がオハ27 151格下げされ、2が廃車されて形式消滅したオロ41700形⇒オロ30600形(オロ31形)オロ30形改良型として1927年から1929年にかけて144両が製造された。客室設備以外はオロ30形ほとんど同じであるため、新製当初オロ30形の続番としてオロ41702からの付番となり、増備途中1928年形式称号改正でも続番のオロ30602からの付番となったその後1941年称号改正では客室設備が違うためか新しくオロ31 1 - 144付番された。改良点としては急行列車への使用考慮して主に座席転換式クロスシートとし、窓割り等間隔にしたことなどがあげられる戦災19両が廃車され、戦後に2両がオハ31形550番台に、67両がオハ27形それぞれ格下げ、1両がコヤ90 1改造され残り1962年昭和37年2月全車廃車された。

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二等車(旧三等車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:44 UTC 版)

国鉄オハ31系客車」の記事における「二等車(旧三等車)」の解説

オハ31形511512オロ31 48102改造した車両1962年511が、1966年512それぞれ廃車された。 オハ30形2代オハ31 310351361 - 3641961年通勤車化改造した車両ロングシートつり革設けていた。1969年昭和44年)までに廃車された。 オハフ31形(2代オハ30形2代)と対をなす緩急車で、種車7172。オハフ30形1961年通勤車化改造した車両1969年までに廃車された。 マハ2970 - 74マハネ29 15・711・13改造した車両1967年までに廃車された。 他の70番台スハ32系属する。 他に100番台および150番台存在したスハ32系属する。

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二等車(旧三等車)(格下げ車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:44 UTC 版)

国鉄オハ31系客車」の記事における「二等車(旧三等車)(格下げ車)」の解説

オハ26形オロハ30 34・6 - 911・121420 - 2326 - 32・3435373843 - 47一等室を格下げ改造し、二等車とした車両1966年12月43廃車され形式消滅したオハ27形1961年10月ダイヤ改正で、設備陳腐化して一等車として使用問題のある17m鋼製車であるオロ30形オロ31形を格下げした車両内部設備そのまま改称実施されたのみであった0番台オロ31 12・5・8 - 1317・1824・2527・2931・33344446・475152・55 - 6062 - 64666769・70747586 - 9497 - 100108・110・112113・115 - 117119125127・130 - 132134138143格下げした車両52オヤ30 4改造され、3両が江若鉄道払い下げとなった1965年形式消滅した150番台オロ30 1格下げした車両。1両のみの存在であった1963年廃車となったスハ380番台スロハ38形(0番台)を格下げした車両。8が欠番だった。1971年昭和46年)に区分消滅した。 他の0番台スハ32系属する。 30番台スロハ38 3335・3941格下げした車両1966年までに廃車された。 他の30番台スハ32系属する。 他に100番台存在したスハ32系属する。

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二等車(旧三等車)(格下げ車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:17 UTC 版)

国鉄オハ35系客車」の記事における「二等車(旧三等車)(格下げ車)」の解説

一等車(旧二等車)の中でも、並ロと呼ばれた固定クロスシート転換クロスシート備えた車両は、リクライニングシート備えた車両特ロ、旧:特別二等車)の普及に伴い設備格差目立ち始めた。そのため、1963年昭和38年)から設備そのまま等級帯を消して二等車に格下げが行われた。 改番後の形式改番前の形式備考処遇スハ50形100番台 スロハ32 20022004・20061018384951 - 2060・67・6871 他に0番台存在したスハ32系属する。 12両がマニ36形改造スハ50形200番台 スロハ32 103 - 105 オハ51形初代) オロ41形2代全車 車番改称前同一番号。 3両がオハネ17形、4両がオハ41形改造オハ53形100番台 オロ42形全車 他に0番台存在したスハ32系属する。 全車オハ41形改造オハ550番台 オロ40 1・3・200420079 - 11141517・19 - 20222024 - 202730 - 2042・2044 - 2049・2053 - 2055・2058・2062・2064・70747580・82 21両がオハ41形、8両がオハネ17形15両がマニ36形改造オハ55100番台 オロ36 1 - 7・9 - 112014 - 20161820202024・2026・20272931 - 3336 - 38 10両がオハ41形、8両がオハネ17形、6両がマニ36形改造。 オハフ53形 オロフ33 12・4 これらの格下げ車両のほとんどは1960年代後半までに消滅したが、オハ55形は1971年昭和46年)に2114(旧オロ36 2014)が廃車されるまで残存していた。

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二等車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:22 UTC 版)

鉄道院基本形客車」の記事における「二等車」の解説

5535形ホロ5535 - 55791910年6月に5535 - 5538が神戸工場で、1911年に5539 - 5548が汽車製造東京支店で、1912年に5549 - 5554が旭川札幌工場で、5555が新橋工場で、1914年から1916年にかけて5559 - 5574が汽車製造東京支店で、1917年名古屋日本車輛製造で5575 - 5579がそれぞれ製造された、二重屋根ロングシートの二等車。便所・洗面所一端に置き、定員50人で1列25人の長いロングシート車内備える。新橋工場製の5555は供奉車として設計製造されたもので、これのみは側板腰部羽目板ではなく一枚板としている。 台車車軸それぞれ1910年製が明治41年式でウ4号軸、1911年製が明治44年式で基本10t軸、1912年製が明治44年式を備える5555を除きなぜか明治42年式でいずれも基本10t軸、1914年以降グループ明治45年式で基本10tとなっている。 5555は1920年大井工場一二座席車5150ホイロ5180へ改造され1924年重量等級見直しでナイロ5180となった後、1928年改正時には供奉車120改称されている。 これに対し一般車鋼製車量産開始されるまで二等車として使用された後、1927年以降三等荷物合造車の8430形や荷物車8900形三等車12000形などに順次格下げ改造されている。 5615形ホロフ5615 - 56291910年に5615 - 5624が神戸工場で、1911年に5625 - 5627が大宮工場で、5628・5629が汽車製造東京支店それぞれ製造され二重屋根ロングシート二等緩急車第1陣10両は本系列で最も早い時期設計製造され、当初ブロボ15 - 24という鉄道作業局時代記号番号体系則った記号番号付与されていた。また、台車は5615 - 5624が鉄道作業局制式明治41年4輪ボギー装着した見られそれ以外鉄道院制式化された明治42年4輪ボギー装着しているが、5615 - 5624はウ4号軸、5625 - 5627はエルハルト9t軸、5628・5629は基本10t軸、とグループごとに異なった車軸使用されており、標準化過程での試行錯誤状況をうかがわせている。 1928年称号改正前に5615 - 5617は18490形ナハニ18490 - 18492に格下げ改造され、5619 - 5624は11200形ナロフ11202 - 11207、5625 - 5627は11200形ナロフ11212 - 11214、5628・5629は11200形ナロフ11200・11201へそれぞれ改番されている。 5630形形式5630形思われる二等車の内部 5630形ホロフ5630 - 56371913年に日本車輛製造本店で4両、神戸工場で1両、1915年川崎造船所兵庫工場で3両が製造され二等緩急車。5535形の緩急室付に相当し車内は全室肘掛けの無いロングシートで、便所・洗面所デッキの間に設置され車掌室の分だけ定員が2名少なく48となっている。車体二重屋根明治45年式台車を装着する1921年に5630・5631は大井工場宮廷列車供奉車改造されて5995形ホロハニ5997・5998と改形式され、これは1924年重量区分見直しでナロハニ5997・5998となった後、1928年改正時には供奉車230231改称された。もっとも供奉車としての使用期間短く1934年には再び一般車戻され、ナハユニ15431・15432へ改造されている。 これに対し、他の6両は関東大震災で5636が1924年被災廃車となった後、残る5両が同年重量区分見直しナロフ5632 - 5635・5637と改称され1928年称号改正では等級そのままに11200形ナロフ11208 - 11211・11215へ改形式改番されているが、1930年には三等緩急車への格下げ実施され、14100形へ再度形式改番されている。

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二等車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:22 UTC 版)

鉄道院基本形客車」の記事における「二等車」の解説

9280形ナロ9280 - 9285 9335形ナロ9335 - 9338 9340形ナロ9340 - 93571912年1・2列車(後の「富士」)用に10両が汽車製造で、その後汽車製造新橋工場で8両が製造された20m級二等車。ロングシート車内仕切り設けて喫煙室区分し定員56人(32+24人)。 9375形オロフ9375 9382形ナロフ9382 - 9385 9385形オロフ9385 - 9388

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二等車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/07 03:10 UTC 版)

北海道炭礦鉄道の客車」の記事における「二等車」の解説

1 - 9の9両が存在し次の3グループ分かれるに1 - 4 1880年幌内鉄道開業用にハーラン・アンド・ホリングスワース社から輸入した8両のうちの4両である。座席ロングシート1911年称号規程制定では、5665形(フコロ5665 - 5668)となったこのうち、5666と5668は樺太庁鉄道移ったとされるが、1916年に5666 - 5668が、5750形(フコロハ5750 - 5752)となったとする記録がある。 に5, 6 1893年明治26年手宮工場製である。1911年称号規程制定では、5675形(フコロ5675, 5676)となった。もとは二等荷物合造車で、1905年頃に改造されものらしい。5675は、1924年樺太庁鉄道移り、フコロ205となった1916年に7940形(フコハ7940, 7941)となった記録がある。 に7 - 9 1893年明治26年手宮工場製であるが、に1 - 4同一設計で、1911年称号規程制定では、同じく5665形(フコロ5669 - 5671)となった1916年には5750形(フコロハ5753 - 5755)となったとする記録がある。 後に5669は夕張鉄道移り、さらに北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道移った。5670と5671は樺太わたっている。

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