人材の育成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:41 UTC 版)
「ゴットフリード・ワグネル」の記事における「人材の育成」の解説
ワグネルの教育を受けた生徒には、教育界などで活躍した者が多い。 1874年から勤務した開成学校・製作学教場では、後に仙台高等工業学校(東北大学工学部の母体)初代校長、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)校長などを歴任した中川謙二郎を教え、中川はワグネルの講義録の翻訳を行っている。 京都舎密局では理化学器械の製造も手掛けており、出入りしていた島津源蔵に技術指導を行い、後に島津は島津製作所を創業した。この頃に贈った木製旋盤が島津創業記念資料館に現存する。 1881年から在職した東京大学理学部の教え子には、東京工業学校教授、三菱製紙所支配人などを歴任した植田豊橘がおり、また助手を務めた中沢岩太はドイツ留学後、帝国大学教授、京都帝国大学の初代理工科大学長、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)初代校長、工手学校(現・工学院大学)校長などを歴任した。 晩年は、製作学教場の後身ともいうべき東京職工学校(後に東京工業学校、現・東京工業大学)の教授となり、後継者として窯業科を発展させ東京工業大学窯業研究所(現・フロンティア材料研究所)初代所長となった平野耕輔、京都陶磁器試験所の初代所長を務めた藤江永孝、石川県工業学校陶磁器科長時代に結晶釉の製出に成功した北村彌一郎、日本陶器(現ノリタケ)設立者の一人である飛鳥井孝太郎、松村八次郎らを教えた。また、ワグネルは技術教育だけでなく、学科の創設や運営にも種々の建議を行い同校の発展に寄与した。
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