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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:42 UTC 版)
だが当時のマネージャーである諸岡義明が、3人の中でラン(伊藤蘭)だけファン層が異なる(お姉さん的)ことを発見、諸岡の提案により、1975年(昭和50年)に発売した5枚目のシングル「年下の男の子」で方針を転換。「お姉さん」的キャラクターのラン(伊藤蘭)をセンター・メインボーカルに据えて前面に出したところ、これが当たって初ヒットとなり、又オリコンでも初のベストテン入りを果たした。 翌1976年(昭和51年)発売の「春一番」は、オリコンで当時最高の週間3位を獲得。その後1977年(昭和52年)にも「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」など、シングル曲を立て続けにヒットを飛ばす。それ以降のシングルでは、「わな」がミキ(藤村美樹)のセンターである以外、全てラン(伊藤蘭)がセンターを務めた。その個性の違う3人という組み合わせや、『8時だョ!全員集合』や、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などのバラエティ番組でコントまでこなす積極的なテレビ出演と、愛らしい振り付けを交えた数々のヒット曲により、幅広い人気を獲得した。 キャンディーズのデビューから3年、1976年のデビュー直後から社会現象的に爆発的な人気を博したピンク・レディーとは同じ女性アイドルグループとして比較されることが多かった。それ故、一部では両者をライバルとして見る向きもあったが、当人たちはライバルというより同じ時代を生きる戦友のようなイメージをもっていたようで、スー(田中好子)とケイ(増田恵子)などはとても仲がよかった。 セールスの勢いは7枚連続1位、5枚連続ミリオンセラーなどで、怪物とまで呼ばれたピンク・レディーには及ばなかったものの、大手プロダクション所属の強みもあって、バラエティーへの対応力など、活動の柔軟性、多彩さではリード、中高生や大学生を中心とするファン層の熱心さもあって、両グループは対照的な形で70年代末のアイドルシーンを牽引した。
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