仕事に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:17 UTC 版)
デビュー当初の画風は劇画調の癖が抜けなかったが、『こち亀』でギャグを描くようになってから徐々に力が抜け、自然体で描けるようになった。 原稿を締切前に必ず仕上げ、編集者からすれば大変ありがたい存在である。しかも万が一に備えて常時原稿のストックを5本用意し、旅行に出かけるなど漫画家では珍しいタイプ。特技は「締め切りに遅れないこと」と自信を持って言うほどである。 アシスタントは全員、背景や人物、仕上げまでこなせるプロ集団で、駆け出しはいない。1990年代より漫画製作のために「有限会社アトリエびーだま」を設立し、アシスタントを社員として雇い、彼らに対して安定した生活を保障している。勤務時間は9 - 20時(途中12 - 13時、17 - 18時に食事のための休憩時間を挟む)で、タイムカードによる勤務管理を行っている。基本的に日曜日は休みにする上、昼休みもキチンと取り、徹夜はさせないというスタンスを取っている。アシスタントは2班で6人おり月曜から水曜日は全員出勤で、月末の最終週は月火水と水木金土に分かれて出勤するシフト制。秋本自身も始業5分前に出勤し、定時に帰るなど、自己管理をしっかりとしている。 ただ、こち亀連載30周年や最終年となる2016年においては、40周年の企画や神田明神こち亀絵巻等の製作、「こち亀ジャンプ」の読み切りとなる日暮熟睡男登場回の執筆作業が入り、コミックス200巻の締切も予想以上に早く、原稿のストックが底をついた上に夏休みも無くなってしまい、毎日仕事状態になってしまったという。 流行ものなどへの反応も敏感であり、しばしばその物やモデルにした物も『こち亀』に登場させることが多い。気になる新聞記事を切り抜いては、それをまとめており、秋本によれば「テレビでやっているものは一気に全国的に広がるが、新聞の小さな記事は見ている人が少ないので、結構そこから発展するものもある」とのこと。かつて、仕事中も複数台のテレビを付けっぱなしにして最新情報の収集にも余念がなかったが、1998年頃改築して以降の仕事場には、テレビや玩具などは無くなっており、純粋にアシスタントと共に原作・作画に専念している。 漫画のネタのための取材も欠かさず、漫画の舞台になる場所があれば、現地に赴いてビデオカメラで資料収集を行う。動いているものは音なども含めムービーで収め、動いていてわからない細かい部分はデジカメで撮ったりと、状況に応じて区別する。絶叫マシンは苦手だが、取材の為に乗っている。取材場所に変化があれば、いつ起きたのかを、取材元へ詳細に尋ねている。 『こち亀』のネームは、ファミリーレストランで週1回の頻度で作成している。最初はページ数を気にせずどんどん描いていき、その後、雑誌掲載数の19ページにまとめるために、ページの削除やコマを小さくしたりして調整する。この一連の作業に半日近くを費やす。話作りについて秋本は「最初の4ページが勝負。4、5ページでつまんないと読者は飽きちゃうんですよ。7ページまで読んでくれれば、一気にいく感じになる」と語っている。 『こち亀』の両津勘吉を描く際には、必ず眉毛から先に描いている。理由は、眉毛が顔の丁度中心にあり、目や鼻の位置が収まりやすく、バランスが取りやすいからである。 気分転換に読み切りを描く。週に1日余裕が出来れば、月に4日、年間で40日貯まりそれで読み切りを描いている。作業は週単位ではなく月単位で進めており、1カ月が4週なら月に5本完成させるのが目標で、1本は休みやこち亀以外の貯金にしている。
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仕事に関して
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「サザエさんの登場人物」の記事における「仕事に関して」の解説
原作では、連載初期の役職は「局長」であったが転勤のため上京した後、いつの間にか降格しており後期には平社員となっていた[要出典]。
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仕事に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:45 UTC 版)
「自分の漫画を解説したりするのは漫画家のすることじゃない」というポリシーを持っている。そのため、自身の作品について、第三者からのインタビューを受ける以外では、自ら解説することがあまりない。 「人前に生身でさらすのは最も苦手」という理由で、インタビューなども含めて基本的に顔出しはしない。 サクラテツ対話篇以降は最終回で必ず次回作の連載を示唆したかのようなシーンをリレー形式で入れる。(例としてサクラテツ〜の最終回で描かれた「荒野の砂漠 水一滴も無し」の砂漠世界→Wāqwāqの黒き血の人間たちの世界→Wāqwāqの最終回の白黒写真のようなタッチで描かれた東京→屍鬼の外場村→屍鬼の最終回で登場した裏社会で生きる砂子と静信→かくりよものがたりのアメとサルタヒコ等)。 カラー原稿については、「漫画が上手な人はカラーも上手」という考えを持っており、「比較的丁寧に一生懸命塗っているつもり」と語る。イラスト集が出るという話が来た時には、自分のカラー原稿にその価値はあるのか疑問を思い戸惑ったが、開き直って出すことに決めた。 キャラクターデザインは、ストーリーがあって、キャラの性格を決めてから描いている。デザインはコンセプトがわかりやすく読者に伝わりやすいように、9割素直に性格と一致するように作っている。また、シンプルでインパクトのあるシルエットとキャラにあったモチーフも押さえている。脇役および主要キャラクターにあたる動物はマスコットキャラクターもしくはぬいぐるみのように描かれるのがほとんどである。 大抵のキャラクターの血縁関係者はある意味個性的で、キャラクターに似ていない(むしろ似せていない)かつ特徴的に描かれている。 細かい絵柄と鮮やかなカラー絵が特徴。作家生活を通じて絵柄は大きく変わっているが、ほとんどの時代に共通するものは、背景やメカニックに対する細かい描き込み、スクリーントーンとCGを多用した、まるでアニメのセル画のように見える絵柄が特徴となっている。 戦闘シーンの描写は、当の藤崎曰く「うまく描くのが苦手」であるため、ほとんど動きのある描写は描かず、静止画のような止めのカットが多く、それを激しいエフェクト描写で補っている。 初期の頃(『ハメルンの笛吹き』から『伝染源』まで)の絵柄は、独特の雲の描き方、髪の毛を1本1本描く、水彩画のような塗り方など、少年漫画や少女漫画とも思えない不思議な雰囲気から、「作者は女性」と思われることが多かった。 1993年の読み切り『DIGITALIAN』で少年漫画らしい絵柄に変化し、話もコミカルな感じになったが、1995年発表の読み切り『DRAMATIC IRONY』では、単純な勧善懲悪ではない「悪と正義」をテーマにしたダークな話になり、スクリーントーンを多用し、絵柄も重苦しい感じだった。 1996年に連載が開始された『封神演義』では、これまでの前作とは打って変わって娯楽要素を取り入れるようになり、話のノリや絵柄がかなり少年漫画らしくなった。オマージュ的表現を頻繁に使っており、ゲームや他の漫画のパロディを交えたギャグも豊富である。初期の頃の彩色は、プリンターのインクが切れたため、コピックを使用していた。連載が進むにつれて、線が細くなるなど絵柄が変化し、藤崎独特の世界観が濃くなったため、話が難しくなっていった。連載半ばには彩色もパソコンによるCGに切り替わった。 『屍鬼』のコミカライズでは、主要登場人物等は漫画的にデフォルメした絵で描き、その他の村人やモブ背景の人々については写実的に描くなど、絵柄の幅は広くなった。また、背景や乗り物に小物など、人物以外の描写には、自身が取材で撮影した写真を加工したうえで使用している。 2017年に行われたインタビューでは、座右の銘として「ストレスフリー」と「余計なことは言わない」を掲げている。『銀河英雄伝説』ではデジタルネームを導入し、Surface bookによるフルデジタル作業へと移行。9名いるアシスタントは在宅勤務しており、Skypeで通信しながら作業を行う。
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