企画 脚本とは? わかりやすく解説

企画・脚本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 01:39 UTC 版)

女帝 (1983年の映画)」の記事における「企画・脚本」の解説

企画岡田茂東映社長1982年三越事件起きたとき、三越岡田茂社長同姓同名岡田茂東映社長が、内藤誠に「事件題材にして脚本書いてみろ」と指示し内藤桂千穂共同脚本書いた。旬が大事な作品であるため、強行スケジュールリサーチ行い内藤シェイクスピア『マクベス』を、1950年アメリカ映画『イヴの総て』下敷きに、脚本書き上げた出来上がった脚本岡田見せたが、「『岡田会』という集まりやっているから、やはり東映では無理だ」といわれ、内藤がにっかつに持って行き、にっかつで映画化された。これとは別に鹿水晶子が『虚飾の城』というタイトルシナリオ執筆してたとする文献もある。

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企画・脚本

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忍者武芸帖 百地三太夫」の記事における「企画・脚本」の解説

1979年末、企画日下部五朗本田達男、脚本神波史男大津一郎メンバースタート監督未定神波大津ジャッキー・チェン主演香港カラテ映画参考にナンセンスアクションを目指し脚本書いた主演未定アクション出来新人探す予定で、主演イメージ松田優作だった。スラップスティックOKといわれ、神波大津大いにのって脚本第一稿を提出したが、岡田茂東映社長クレームをつけ、マジメ時代劇突如変更させられた。神波大津とも落胆激しくマジメ忍者時代劇書き直し1980年4月初旬第二稿が完成

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企画・脚本

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山口組外伝 九州進攻作戦」の記事における「企画・脚本」の解説

原作飯干晃一となっているが、飯干の原作本映画化したではなく、飯干が夜桜銀次週刊誌取り上げた記事プロデューサー日下部五朗読み夜桜銀次主人公にしたら面白い」と映画化したもの。ただ飯干には原作料を支払った当時はまだ夜桜銀次の名前は極道社会でもあまり知られていなかったという。役名微妙に書き換えられているが、内容はほぼ史実に基づく。 『山口組外伝 九州進攻作戦』というタイトルについて、田岡一雄山口組組長から「夜桜銀次事件山口組とは関係ない事件だから、組の名は使ってほしくない」とクレーム受けた。しかし、岡田茂東映社長は「映画の題名は、人間でいえば顔や。顔は変えられん。顔が悪いとお客来てくれん。山口組という名が題名入ってるから、みんな興味そそられ来てくれるんやぜ」と話し徹底した商売人姿勢見せてタイトル変更をしなかった。山口組という名をタイトル入れるため、田岡満社長務めるジャパン・トレードに協力500万円支払われた。しかし映画内の山口組兵頭組という名前に変えたこのような話は全部宣伝狙った東映戦略で、実は最初から田岡満企画参加していて、ネタ探しているとき、夜桜銀次出て来て、映画化しようとなったという説もある。

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企画・脚本

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ショーシャンクの空に」の記事における「企画・脚本」の解説

ダラボンとスティーヴン・キングの関係は、『312号室の女(英語版)』の短編映画化の権利1ドル購入して1983年製作したことから始まる。これは、新人監督履歴書作成できるように、キング自身短編小説の映画化1ドル与えるものであったダラーディール)。1987年に『エルム街の悪夢3 惨劇の館』で職業脚本家として認められた後、ダラボンはキング掛け合い、5,000ドル1982年出版されキング作品集恐怖の四季』に収録されている96ページ小説刑務所のリタ・ヘイワース』の映画化権購入した。『恐怖の四季』は、キング代名詞であるホラー小説以外のジャンル開拓するものであったキング囚人仲間アンディ思いを馳せるレッド焦点当てた作品どのような長編映画になるのか皆目見当もつかなかったが、ダラボンは「自明なこと」と考えていた。キングはダラボンからの5,000ドル小切手換金せず、後には額に入れて次のようなメモ添えてダラボンに返した。「もし保釈金必要になったときのために。愛をこめて、スティーブン」。 その5年後にダラボンは8週間かけて脚本書き上げた。彼は原作要素膨らませた。原作では老人ホーム死んでしまう脇役ブルックスは、最終的に首を吊る悲劇人物になったアンディ容疑晴らせにも関わらず所長との取引に応じてより良い刑務所へ移送されトミーは、原作における複数所長主要な敵役として一人統合したノートン所長命令射殺される形に翻案された。ダラボンはインスピレーションの源として、『スミス都へ行く』(1939年)や『素晴らしき哉、人生!』1946年)などのフランク・キャプラ監督作品挙げ本作刑務所映画というより、それらと同じほら話tall tale)だと述べている。また、グッドフェローズ』(1990年)を参考にして時間の経過台詞表現したり、ジョン・フランケンハイマー監督刑務所映画終身犯』(1962年)を参考にしたという。ロケ地探していたダラボンは、同じく刑務所舞台にした『ウォール・オブ・アッティカ/史上最大刑務所暴動』のロケ地探していたフランケンハイマーと偶然出会った。ダラボンは、彼が撮影合間を縫って自分励まし助言してくれたと回顧している。 当時刑務所舞台映画で高い興行成績望めないと考えられていたが、脚本読んだ当時キャッスル・ロック・エンターテインメントプロデューサー、リズ・グロッツァーは興味持ちキャッスル・ロックが『ショーシャンクの空に』の製作をしなければ辞職するとまで会社脅したキャッスル・ロック共同設立者監督であるロブ・ライナー脚本気に入り240ドル から300ドル提示して自分監督になろうとした。1982年キング短編小説スタンド・バイ・ミー』を1986年映画化していた経験を持つライナーは、アンディ役にトム・クルーズレッド役にハリソン・フォード起用する計画立てていた。 キャッスル・ロックは、ダラボンが構想立てていた他の映画資金調達をも申し出たロサンゼルス貧し出自であったダラボンは、このオファーを真剣に検討し業界での自分地位高めることができると考えたまた、契約上は、キャッスル・ロック辞めてライナー映画引き渡す可能性もあったが、後に2014年バラエティ誌でのインタビューにおいて、「お金引き換えに夢を先送りにし続けて自分やりたいことを一度もやらずに死ぬことはできない」と述べ監督続けることを選んだという。ライナーは、代わりにこのプロジェクトにおけるダラボンのメンター務めたキャッスルロック脚本見せてから2週間で、ダラボンは自分映画を撮るための2500ドル予算獲得しまた、75ドル脚本・監督料と純利益パーセンテージを取る)、1993年1月プリプロダクション開始された。

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企画・脚本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:40 UTC 版)

さらば愛しき大地」の記事における「企画・脚本」の解説

監督柳町光男は、本作の舞台鹿嶋市がある同じ茨城県出身で、鹿島臨海工業地帯建設により、農村がどんどん壊されダンプカーが走る光景をずっと見ていた。そういうものが映画の舞台としては格好だなと感じプロット練ってはいた。上手く構成できていないとき、新聞ダンプ運転手覚せい剤をやって愛人殺したという記事を見つけ、一気ホン書けた。映画その実話とは大分違うという。

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企画・脚本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 19:40 UTC 版)

ねらわれた学園 (1981年の映画)」の記事における「企画・脚本」の解説

角川春樹薬師丸ひろ子主演で「アイドル映画」を撮ろう眉村卓『ねらわれた学園』原作として選び脚本実質的な映画製作を「オフィス・ヘンミ」に依頼した脚本としてクレジットされている「葉村彰子」は、逸見稔中心とした創作集団のもつ共同ペンネームで、本作公開前年1980年設立され逸見本作製作プロダクションオフィス・ヘンミ」の社長であった脚本完成した時点で、角川から大林宣彦に「うちに薬師丸ひろ子という子がいます。女優としてスタートしたのだけど、まだアイドルになっていない。大林さん、彼女をアイドルしてやってくれませんか」と本作監督依頼があった。この後多くの「アイドル映画」を撮る大林であるが、全て女優として撮った述べており、戦略的にアイドル映画」として撮ったのは本作一本のみと話している。1979年の『金田一耕助の冒険』で意気投合した角川大林は、再び「誰もやらないような映画作ってやろう」という目論見から、薬師丸ひろ子の「アイドル映画」を構想した

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企画・脚本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:02 UTC 版)

グラディエーター」の記事における「企画・脚本」の解説

Gladiator』のアイディアは製作を務めたデヴィッド・フランゾーニ提案したものであり、同時に脚本初期案彼の手で書き上げられた。フランゾーニは以前に製作・脚本として関わったスティーヴン・スピルバーグ監督による『アミスタッド』の商業的成功で、ドリームワークスから新たな映画の製作立案依頼されていた。フランゾーニは古代史に関する特別な興味当初持たなかったが、ダニエル・マニックスの小説『Those About to Die』(1958年)に影響を受け、更に『ローマ皇帝群像』読んだ経験からコモドゥスに関する映画製作思い立った草案では『ローマ皇帝群像』コモドゥス伝には登場せず、ヘロディアヌスカッシウス・ディオといった同時代人によって伝えられ剣闘士ナルソキッソス(コモドゥス帝を暗殺したとされる)がモチーフとされ、名前もそのままであった。しかしナルソキッソスに関する記述乏しいためにさまざまな歴史人物モチーフとして加えられ独創的な主人公マクシムス」を形作っていった。 監督については総製作のウォルター・F・パークスローリー・マクドナルドによってリドリー・スコットオファー出され二人アイディア源の一つであるジャン=レオン・ジェローム絵画見せて脚本説明したスコット古代ローマ時代映像化に強い興味示したものの、脚本草案については全面的に書き直すべきだと批判し実際に脚本家ジョン・ローガンによって大幅に変更させた。ローガンにより書き直され部分としては主人公剣闘士になるまでの展開に深み持たせたことと、逆に家族描写について大幅に減らしたことが挙げられる。 製作の直前まで脚本について議論続けられており、三人目脚本家として参加したウィリアム・ニコルソン主人公マクシムスをより感傷的な人物として描写するべく、作品中頻出する死生観についてテーマ織り込んだその中でヌミディア人奴隷ジュバ重要な役割演じるよう、人物関係調整された。途中でフランゾーニも製作から脚本復帰してウィリアムローガン変更案を監修する立場についたウィリアムはフランゾーニの初期案尊重しながら変更作業行い、フランゾーニも脚本監修として変更案を自由に行わせた。しかし製作としてはあくまで自分初期案に近い物を採用するように主張していた。後にフランゾーニは『グラディエーター』については製作に関する貢献認められアカデミー作品賞共同受賞した。 また脚本主演務めたラッセル・クロウからの提案による修正行われた。彼は常に脚本内容について意見提示し納得する回答製作陣から得られない不満げセット練り歩いたドリームワークス製作陣口を揃えて「(ラッセルは)全ての脚本書き直さようとした。特にトレーラーでも使用された『今生か、さもなくば来世復讐を果たす』という台詞断固として受け入れなかった」と証言している。ラッセル追加され死生観についてテーマ嫌っており、「ウィリアム脚本ゴミだ。だが私は世界一俳優だからどんなゴミみたいな台詞でも良く演じてみせる」とまで罵倒したという。ウィリアムは「多分、私の脚本ゴミみたいだから、そのまま台詞喋ったんだろうね」と皮肉っている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:42 UTC 版)

太陽を盗んだ男」の記事における「企画・脚本」の解説

一人になった長谷川1977年春にアメリカ行ってレナード・シュレイダー知り合い仲良くなった。お互い生い立ちなど話し長谷川広島生まれ体内被曝児であることなどを話すと、「それでお前のあだ名は"ゴジ"なのか」「いや、それはまた別の話だ」などの話をし、「そのうち一緒に仕事をしよう」と言って別れたが、あまり期待はしていなかった。シュレイダー長谷川生い立ちからインスピレーションを受け、また雑誌アサシン』で個人でも原爆作れるという記事読み、それらからプロット着想した。『アサシン』は「カストロ殺し方」みたいな特集載せるバカフリークな雑誌だった。 1977年6月シュレイダー日本来て長谷川に「被爆者のお前が撮るべきだ。その方世界与えインパクトが大きい」と言ったシュレイダーは「何でもない普通の青年原爆作って9番を名乗り時の政府脅迫する。その第一要求は“テレビナイター中継最後まで放送しろ”で、最後に金をさらって女とブラジルあたりに逃げる」というプロット長谷川提示した長谷川は「そのラストではせっかくの原爆プロット生きないので、原爆作る過程被爆させること」と提案したら、シュレイダー明るく楽しい痛快アクション喜劇目指していたため、「映画ヒットしない方向走っている」と大反対した。大喧嘩になったが、娯楽映画だけでは駄目だと長谷川押し切った。 またシュレイダーは9番と敵対する刑事三波伸介伴淳三郎のようなコミカルな人物像イメージしていたが、「むしろ『野良犬』の三船敏郎30年後に生き返ったような刑事にしてくれ。そういう男と男の対決ドラマにしてホモセクシュアルな関係になっていいからある種父殺しの話にしようじゃないか」と注文出したシュレイダードストエフスキー彷彿とさせる脚本書き上げ当初中学教師城戸が、何故犯罪犯すのかの理由必要だろうと、校長喧嘩するとか、同僚女教師ファックするとか色々デッサンはあった。高倉健新幹線大爆破するには、それだけ理由があるが、長谷川がそれが映画をつまらなくしていると考えていたから、主人公少年家族の関係を全てカットし他人に触れ合うシーン全部切り、都会孤独に生きる人物像として中学校教師とした。脚本完成するまでにさらに2年要した。後に助監督として参加する相米慎二制作進行黒沢清執筆協力し脚本作成1年かけた。

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