低迷期(1950年代 - 1970年代)
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「シカゴ・カブス」の記事における「低迷期(1950年代 - 1970年代)」の解説
1950年代に入るとチームの状況は一層悪化。1966年までに勝率5割を上回ったシーズンは1952年と1963年の2シーズンのみで、1962年には球団ワーストとなる103敗を記録してしまう。1956年にはカブス初の黒人選手であるアーニー・バンクスがメジャーデビュー。バンクスは「Mr. Cub (ミスター・カブ)」と呼ばれ、2度のMVPを獲得するなど、現役引退までカブス一筋の看板選手として活躍したが、チームの好成績には結びつかなかった。 当時オーナーを務めていたフィリップ・リグレー(英語版)は、チームを低迷から脱出させようと様々な案を講じた。1960年のシーズン途中には、この年に監督に再就任したばかりで、開幕から不調だったチャーリー・グリムと当時カブスの専属解説者を務めていたルー・ブードローを入れ替えた。翌1961年からは監督を固定せず、8人のコーチが監督を交代して務めるという類のない制度を導入し、1965年までこの制度を続けた。しかしどちらも成果を挙げることはできず、むしろチームの混迷はより深まることとなる。 1966年には名将レオ・ドローチャーが監督に就任。1960年代後半になると、ファーガソン・ジェンキンス、ビリー・ウィリアムズ、ロン・サントといったスター選手も台頭し始め、チームも上位に進出する機会が多くなる。1969年には地区制が導入され、カブスはナショナルリーグ東地区に移動。そしてこの年には開幕から首位を独走し、シーズン終盤手前の8月19日の時点で2位ニューヨーク・メッツと8ゲーム差をつけた。しかしここからメッツの猛追によって差は縮まり、9月10日に首位を明け渡すと、そのままメッツの逆転優勝を許した。以降チームも優勝に絡むことはなくなり、上記選手の多くがワールドチャンピオンどころかリーグ優勝さえ経験することなくユニフォームを脱ぐこととなった。 1970年代にはリック・ラッシェルがエースとして活躍。1975年、1976年にビル・マドロック、1980年にビル・バックナーがそれぞれ首位打者を獲得し、1979年にはデーブ・キングマンが本塁打王を獲得した。1981年には長年に渡ってオーナーを務めたリグレー一族がチームを売却し、代わって地元新聞社のシカゴ・トリビューンがチームを買収するなど、この頃は次第にチームの変革が進んだ時期でもあった。
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低迷期(2001年~2003年頃)
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「CardWirth」の記事における「低迷期(2001年~2003年頃)」の解説
ユーザー数の減少はそのままCardWirthコミュニティ全体に響き、その後しばらくは低調が続くこととなる。中でも初期の頃から活躍し、それまでコミュニティの牽引役となっていたユーザーの多くが一線を退いたこと、そして開発元であるgroupAskにこの頃大きな動きが見られなかった事などが大きかった。 もっとも、これはユーザー層が大きく入れ替わる、いわば転換期としての側面もあった。特にこの当時コミュニティにデビューしたユーザーには実力派のクリエイターが多くそろっていたことから、低迷が続くもののCardWirthの人気は持続することとなった。 また、公式サイトを離れた旧来からのユーザーの一部は、他方で個々のユーザーズサイトに分散して小規模なコミュニティを形成していく。こういった新たなコミュニティは以降も地道に活動を続け、こちらもCardWirthコミュニティ全体を支えた。
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低迷期(2002年10月期から2018年1月期)
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「フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ」の記事における「低迷期(2002年10月期から2018年1月期)」の解説
業界全体がドラマ不況を迎える中で、「月9ドラマ」枠も2002年10月期放送の『ホーム&アウェイ』より視聴率で次第に苦戦を見せ始める。2003年10月期放送の『ビギナー』では、人気俳優・女優のスケジュールを2年先まで仮押さえしてトレンディなラブストーリーを基本に制作してきた方向性を一変し、本放送枠初の試みとしてヒロインの一般公募を実施して、約1万人の応募者の中から演技経験ゼロだったミムラを「フジテレビを背負って立つ女優」としてヒロイン役に、また特別賞として北村亜里沙と井上訓子を選出する。 2009年以降の視聴率は『HERO』や『ガリレオ』、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(すべて第2シリーズ)など過去の続編作品や前述の『HERO』に加え『PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜』など木村拓哉が主演する作品などは高視聴率を記録する反面、単回で初の一桁台を記録した『婚カツ!』(2009年4月期)や平均視聴率が初の一桁台を記録した『極悪がんぼ』(2014年4月期)以降は、単回や平均で一桁を記録する作品が増え始め、2016年1月期からの王道のラブストーリー3作(『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』『ラヴソング』『好きな人がいること』)から2017年4月期の『貴族探偵』に至るまでは平均視聴率が10%に満たない状況となった。「最低視聴率記録の更新」ばかりが話題となり、「月9ドラマ」の低迷はフジテレビ自体の業績不振とも相まって「フジテレビ凋落の象徴」とも目されるようになる。2018年1月期の『海月姫』が枠史上最低となる平均視聴率6.1%を記録したことで、同作を最後に王道のラブストーリー路線に一旦区切りをつけることとなる。 2015年1月期放送の『火9 (フジテレビ制作)』作品『ゴーストライター』が終了し、『火9』が一旦廃枠になった事で、本枠はフジテレビ唯一の21時枠ドラマとなった。フジテレビのドラマ枠の21時枠が月9だけになったのは22年半ぶりのことだった。また同時期には、半世紀以上に渡って放送されたTBS系列の月曜20時台ドラマ『ナショナルゴールデンアワー→ナショナル劇場→パナソニック ドラマシアター→月曜ミステリーシアター』が廃枠になった事で、本枠は在京キー局唯一の「月曜ゴールデン・プライム両枠での1時間連続ドラマ」となった。しかし1年後の2016年4月より、かつて『ドラマチック・サンデー』を編成した日曜21時枠にドラマを再開、1年振りにフジテレビ21時ドラマが2体制となったが、同年10月からは火曜22時のドラマ枠が枠交換の形で同21時からの放送となるため、制作局違いでフジテレビ21時ドラマが3体制となった。しかし、2017年9月を以て日曜21時枠ドラマが廃枠になったため、フジテレビ21時ドラマは2体制に戻る事になり、フジテレビ制作21時ドラマは1年半ぶりに本放送枠のみとなった。
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