佐賀平野地域とは? わかりやすく解説

佐賀平野地域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:41 UTC 版)

佐賀市」の記事における「佐賀平野地域」の解説

平野部では水辺田園地帯が独特の自然景観見せる。市域にあたる佐賀平野中部は、丘陵がほとんど存在せず河川堤防を除くと全般的に海抜が低い。また中小河川水路クリーク)が発達していて、農業用水生活用水水運目的としていたことから、市街部田園部の別な水路網羅されていて、その恩恵享受していた。一方で脊振山地に源を発し市域西部流れ嘉瀬川と、九州山地に源を発する九州最大筑後川挟まれているため、昔から洪水頻発地帯であり、灌漑治水によって農地住民の生活守られてきた側面もある。 市街地北部国道34号付近でも海抜5mであり、有明海沿岸堤防計画高水位より低い 上、起伏少なため水はけが非常に悪い地域であった一度堤防決壊して町や農地水浸しになると何週間引かないことがある一方水争いでの同士対立も深刻であった。これを一変させたのが、江戸時代入ってから成富兵庫茂安らの協力佐賀藩が行った治水事業である。平野全体治水灌漑一体的考え当時としては画期的な手法によって、洪水被害軽減され水争い減少した。また明治以降干満差大き有明海取り囲む高い堤防と水位調整、さらに蛇行の多い水路直線的に改良して排水効率向上する水路整備排水ポンプ場整備により、現在の洪水被害減少している。ただし、年一回程度梅雨末期大なり小なり市街地冠水被害はあるものの、本市においては汚水処理管と雨水処理が完全分離され分流式下水道採用しており、冠水時に市街地溢れ雨水主体であり、大都市多く採用されている合流式下水道のようなし尿混じり汚水側溝通じて市街地逆流して溢れたり、雨水吐口による希釈下水河川放流水冠水時に混入するなどの問題はなく、また引いたあとの下水由来悪臭発生殆どないため、浸水程度業種浸水をあらかじめ想定した店舗づくりといった対策有無等にも左右されるが、早い所では引いた翌日には営業再開する店舗見受けられる江戸初期設置され石井により嘉瀬川から分流した多布施川は、市街地北部縦断して水路分化しながら佐賀城内に至り古くより生活用水として用いられていた。現在も多布施川から旧佐賀市水道水取水されている。城内通過後の多布施川佐賀江川つながり市街地南部を再び縦断して今度農業用水用いられ有明海に至る。このほか巨勢川福所江川、八田江川などが、いずれも北から南に向かって流れている。諸富町南東では筑後川接し中州である大中島筑後川早津江川挟まれ河口州である大詫間(島の南半分佐賀市、北半分大川市)は市域含まれる起伏少な佐賀平野水田適しており、古代より順次開墾されていって稲作地帯となった。また佐賀平野筑後川などの土砂運搬により急速な自然陸化が進む地域で、海岸線年々南下してきた。これに加え江戸時代以降本格化した干拓によって、人工的に土地造成して農地拡大してきた。東与賀町川副町大部分本庄町・西与賀町久保田町南端はほとんどが干拓地である。 佐賀市街は、市内平野部のちょうど真ん中付近に位置している。佐嘉と呼ばれていたこの町は、戦国時代まで佐賀平野の1農村に過ぎなかった。室町時代中期村中城および水ケ江城を構えて拠点としていた龍造寺氏戦国時代後期勢力伸ばしたことが転機となり、町が発展した。さらに、後継鍋島氏2つの城を慶長年間1596年 - 1615年)に大改修佐賀城築城するとともに、城周辺再整備した。その際条里制による直線的な道路水路生かして碁盤の目のような整った街路区画行っており、現在でもその名残を見ることができる。これ以降佐嘉は肥前佐賀藩城下町として、また長崎街道宿場町として栄えた中世以降佐賀」の表記用いられるようになり、明治維新以降正式に佐賀」と改められた。そして、明治初期廃藩置県後県庁所在地となったことで、近代以降佐賀県行政の中心地としての地位確立する現在の佐賀市街は、佐賀駅中心としてビル街商業街があり、それを取り囲むように低層住宅地位置し住宅地郊外ショッピングセンター型の大型商業地点在する宅地化はやや道路に沿いながらもほぼ同心円状進んだ中心市街地では佐賀駅移転工場移転再整備基幹道路整備という一連の流れにより再開発進んだ地域もある。いわゆる高層建築物はほとんどなく、もともとの地形とも相まって比較平坦な街並みである。 地価高騰により住宅地郊外集積したことで、高齢化ドーナツ化現象中心市街地衰退招いていたが、1990年代 - 2000年代には地価下落による再開発ラッシュ影響を受け、中心市街地中層マンション集積したことで、ドーナツ化緩やかになっている。しかし、同時期に郊外型商業地集積進んだため、佐賀駅周辺城内地区などの商店街型の小売業長期的に衰退してきている。 一方郊外部では、農地点在していた住宅の間に新し戸建住宅や団地が造成されるなどして、開発順調に進められ市街地拡大していった。通勤の軸が鉄道ではなく自動車道路)であるため、主要道路の沿線住宅地形成されている。もともとの農地区画整理されていたこと、1970年代から早期環状道路整備されたこと、郊外化拍車をかける市街地価高騰それほど顕著でなかったことから、スプロール現象起こっていない。

※この「佐賀平野地域」の解説は、「佐賀市」の解説の一部です。
「佐賀平野地域」を含む「佐賀市」の記事については、「佐賀市」の概要を参照ください。

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