倉持隆夫
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倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー。
- ^ この時期、「ジャンボ鶴田がマニラで客死した」との情報を得、プロレス実況時代の人脈を活用していち早く裏取りに成功。スクープをものにしている。その一方、鶴田夫人の依頼で鶴田の死に顔ができるだけ映らないように奔走していた。
- ^ ニュース映像扱いであり、『全日本プロレス中継』では放送されていない。
- ^ a b 全日本の控室からブロディ、スヌーカ・・・「あっ!ハンセンだ!」。サプライズ登場の瞬間、実況の倉持隆夫アナは嘘をついたWeb Sportiva 2022年10月12日
- ^ a b 「死ぬんじゃないか」と心配されたジャイアント馬場がハンセン相手に躍動。実況アナも「やれ! 馬場」と叫んだWeb Sportiva 2022年10月13日
- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.2』P62 - P65(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583621876)
- ^ 後日、ジャイアント馬場と元子夫人にクリーニング代として「たしか20万円頂いた」。 倉持がシークのお膝元、デトロイトに行った時には、シークの手厚いもてなしを受け、宝石も貰っている。このアングルは「おそらく当時のプロデューサー・原章(後に日テレ系列局の福岡放送社長)とジャイアント馬場の2人のみが事前に知っていた。(シークが自分を襲ったのは)からかってやろうという感じだったのではないか」と倉持は回想している。
- ^ ブッチャーとは来日毎に食事をする間柄であった。楽曲『ブッチャー・ザ・グレイテスト』においては、歌唱の他、作詞も担当している。(『kamipro』No.143より)
- ^ 「プロレスは男の詩」全日本プロレスの実況アナが天龍源一郎に重ねた「反骨」の心 ハンセン失神事件の秘話も明かしたweb Sportiva 2023年4月26日
- ^ 福留崇広『テレビはプロレスから始まった 全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち』(2022年 イースト・プレス ISBN 978-4-7816-2128-9)pp203-204
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