全国協同伝道
全国協同伝道
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1909年(明治42年)基督教伝道開始50年記念会を開催し、記念伝道委員長として伝道の方針を語る。カルビン生誕400年記念会を開く、また植村正久牧師在職30年祝会を富士見町教会で開催する。 1910年(明治43年)日本統治下の韓国キリスト者に宛てて「朝鮮のキリスト者」という激励文を『福音新報』に発表するが、発売禁止処分になる。 日本基督教会伝道開始50年の感謝伝道会を有楽座で開いて講演する。その後、旅順、京城(ソウル市)、台湾で伝道する。 1911年(明治44年)大逆事件で刑死した大石誠之助の葬儀を、富士見町教会で行う。京都、名古屋、岡山、京都、甲府で伝道を行う。日本基督教会大会で植村を正使として、欧米に派遣することを決議する。横浜より欧米に向けて出航うする。1912年(明治45年)4月、欧米より帰国する。帰国後、京都、岡山、神戸の各地に伝道旅行する。そして、京城日本基督教会の献堂式に出席する。 1913年(大正3年)高知、広島、水戸、台湾、門司の伝道を行う。1914年には上田、釜山、静岡、村上で伝道をする。1915年全国協同伝道において東部長として、東北、北海道に行き伝道をする。植村は「キリスト者懸り伝道」と呼んだ。また、夏には中渋谷教会夏期講話会で『使徒信条』の講話を連続して行った。横浜のフェリス女学校で行われた女子青年大会で講演をする。その後、京都、横浜、大阪で伝道を行う。 1916年(大正5年)には小崎弘道、井深梶之助、海老名弾正と共に発起人になり、築地精養軒において「両院議員信徒懇談会」を行う。婦人矯風会主催の講演会の島田三郎と共に行う。更に、山梨、柏崎、高田に伝道旅行に行く。 1917年(大正6年)中渋谷教会を建設し、森明牧師任職式を行う。横浜指路教会で行われた宗教改革400年記念集会で説教を行う。鎌倉に日本基督教会の伝道所を設ける。佐世保、熊本、大阪で伝道旅行を行う。1918年(大正7年)に日本基督教会教職者会で連続講演を行い、「基督の人格」「死後の生活について」「基督教の救い」などを語る。台湾、中国、韓国に伝道を行う。さらに、首都圏の神田、大森、市ヶ谷で伝道を行う。 1919年(大正8年)には伝道局創立25周年記念会で講演「伝道局の新事業」を行う。水戸、山梨、鹿児島、福岡で伝道を行う。 1920年(大正9年)東京神学社の講演会で「基督教有神論」を語る。神戸、高知、富山、台湾、中国、韓国などを伝道旅行する。 1921年(大正10年)に新潟、青島、上海、大連、紀州を伝道する。三崎会館で黙示録の講演「アジアの七つの教会に与えたる書」を行う。1922年(大正11年)日本基督教会を代表して、欧米の諸教会を歴訪する。横浜海岸教会で開かれた大会で「日本基督教会の将来」という題の講演を行う。新潟、佐渡、松本で伝道をする。
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