【八八艦隊】(はちはちかんたい)
- 明治時代末期~大正時代にかけての旧日本海軍が、大艦巨砲主義にのっとって計画した艦隊編成。
戦艦8隻と、巡洋戦艦8隻で構成される。
しかし計画が進む中でワシントン海軍軍縮条約が締結され、主力艦保有数が制限されたためにこの構想は潰えることとなった。
結果的に戦艦として竣工できたのは長門・陸奥のみで、赤城と加賀は建造途中で空母に改装されて竣工した。
(もっとも、当時の日本の国力からして到底実現不可能な計画であったという意見もある)
計画されていた艦は以下の通り。
- 海上自衛隊の護衛隊群の編成構想である「八艦八機体制」の通称。
8隻の護衛艦(ヘリコプター護衛艦1隻、ミサイル護衛艦2隻、汎用護衛艦5隻)と、8機の対潜ヘリコプターで構成される。
原則としてヘリコプターは、ヘリコプター護衛艦に3機、各汎用護衛艦に1機ずつが配備される。
対潜水艦戦を強く意識してあり、現在の護衛艦隊群は全てこの編成で構成されている。
もっとも近年はより柔軟な運用を目指すべく、各護衛艦のヘリコプター搭載能力を増強したり、対潜ヘリコプターを「哨戒ヘリコプター」と改称したりしている。
八八艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 08:01 UTC 版)
八八艦隊(はちはちかんたい)は、日本海軍の建艦計画。艦齢8年未満の戦艦8隻と巡洋戦艦8隻を中核戦力とし、所要の補助艦艇並びに第一線を退いた艦齢8年超の主力艦群を主軸として整備するものだった。ワシントン海軍軍縮条約の締結で中止となった。時期・規模の符合からアメリカ海軍のダニエルズ・プランとしばしば比較される。
注釈
出典
- ^ これに先立ち大正八年の陸海と大蔵相の三者協議にて大正十六年度までは八八艦隊整備を優先とし、陸軍拡充は同案成立の後に着手することで妥結した。
- ^ 『写真集・日本軍艦史〈2〉 大正編』(海人社『世界の艦船』1977年8月号増刊、No.244) 中名生正己「大正の軍艦」 p124~p127 を参照。
- ^ 「軍艦尾張製造の件」第17-19画像
- ^ 牧野茂『艦船ノート』78頁(13号艦要目)
- ^ 福井静夫『世界戦艦物語』 「八八艦隊計画の主力艦建造と戦艦加賀型の概要」 p343~p344
- ^ 「軍艦尾張製造の件」第2、15-16画像
- ^ 「軍艦尾張製造の件」第16画像
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ48 日本軍艦発達史』 日本軍艦発達史 第二部 一斉打ち方の時代 第2章 対米作戦艦隊の建設(遠藤昭稿) p125,p127~p128
- ^ 『歴史群像シリーズ 帝国海軍の礎 八八艦隊計画』8-8 FLEET PLAN:CHAPTER 4八八艦隊完成案の成立と「紀伊」型以降の建造計画(大塚好古稿) p109~p113、奥本剛著『【図解】八八艦隊の主力艦』 4 巡洋戦艦の素顔 p164
- ^ 牧野茂 監修・内藤初穂 編『平賀譲遺稿集』(出版協同社、1985年) ISBN 4-87970-041-X 「新艦型ニ就テ 巡洋艦夕張に関する大正十年六月十二日付の意見書」 p275~p277
- ^ 牧野茂『艦船ノート』79頁
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ48 日本軍艦発達史』 綴込付録:図解 46センチ砲の変遷 p91~p94
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ48 日本軍艦発達史』 日本軍艦発達史 第二部 一斉打ち方の時代 第2章 対米作戦艦隊の建設(遠藤昭稿) p126~p127
- ^ 洋上給油のためではなく、油送船としての意味合いが強い
- ^ 「軍艦加賀を航空母艦に改造する件」第5画像
- ^ 「軍艦天城(赤城)改造工事材料に関する件」第1画像
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