初期の作品化とは? わかりやすく解説

初期の作品化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 07:04 UTC 版)

おまん源五兵衛」の記事における「初期の作品化」の解説

歌謡物語定着させたのは、西鶴の『好色五人女』と近松の『薩摩歌とされる井原西鶴小説好色五人女』(1686年刊行)の巻五「恋の山源五兵衛物語」では、源五兵衛武士、おまんは豪商の娘と設定されている。衆道執心し若衆2人失って入道した源五兵衛のもとに、家出したおまんが男装して押しかけついには源五兵衛陥れる形で結ばれるというもので、おまんと源五兵衛窮迫するものの、おまんの両親によって探し出され巨万の富を譲られるという筋である。『好色五人女』中では唯一のハッピーエンド」にはなっているが、虚構性の強さ指摘されており、単純なハッピーエンド」ではないという説もある。 近松門左衛門浄瑠璃薩摩歌』(1704年初演か)は、鹿児島出身武士である菱川源五兵衛とおまんの恋愛をめぐる物語と、笹野三五兵衛その許嫁小(小まん)の物語絡ませている。源五兵衛僧侶として修業していたが、おまんとの恋愛原因となって国許を出、京都でさる武家屋敷奉公上がる。この屋敷の娘である小や、その許嫁である笹野三五兵衛女装して屋敷入り「林」名乗っていた)と知り合い源五兵衛三五兵衛追い求めていた父の仇情報伝える。一方源五兵衛薩摩帰り、おまんの屋敷奉公人として潜り込むがここで騒動起こり、はずみで源五兵衛がおまんに切りつけてしまい、源五兵衛腹を切る。そこにかたき討ち果たした三五兵衛と小駆け付け名医のもとに連れて行って2人の命を救う、という筋書きである。 なお、宝永3年1706年)には近松門左衛門によっておまん・源五兵衛登場させた『鳥辺山心中』が上演されるが、京都寛永3年1626年)に発生した別の心中事件お染半九郎)の男女名を借りたものに改められている。 『薩摩歌』を下敷きとして、吉田子ら合作浄瑠璃薩摩歌妓鑑(さつまうたげいこかがみ)』(1757年)などが作られている。この作品お家騒動物。

※この「初期の作品化」の解説は、「おまん源五兵衛」の解説の一部です。
「初期の作品化」を含む「おまん源五兵衛」の記事については、「おまん源五兵衛」の概要を参照ください。

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