初期の作品化
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歌謡を物語に定着させたのは、西鶴の『好色五人女』と近松の『薩摩歌』とされる。 井原西鶴の小説『好色五人女』(1686年刊行)の巻五「恋の山源五兵衛物語」では、源五兵衛は武士、おまんは豪商の娘と設定されている。衆道に執心し、若衆2人を失って入道した源五兵衛のもとに、家出したおまんが男装して押しかけ、ついには源五兵衛を陥れる形で結ばれるというもので、おまんと源五兵衛は窮迫するものの、おまんの両親によって探し出されて巨万の富を譲られるという筋である。『好色五人女』中では唯一の「ハッピーエンド」にはなっているが、虚構性の強さも指摘されており、単純な「ハッピーエンド」ではないという説もある。 近松門左衛門の浄瑠璃『薩摩歌』(1704年初演か)は、鹿児島出身の武士である菱川源五兵衛とおまんの恋愛をめぐる物語と、笹野三五兵衛とその許嫁小万(小まん)の物語を絡ませている。源五兵衛は僧侶として修業していたが、おまんとの恋愛が原因となって国許を出、京都でさる武家屋敷に奉公に上がる。この屋敷の娘である小万や、その許嫁である笹野三五兵衛(女装して小万の屋敷に入り「林」と名乗っていた)と知り合い、源五兵衛は三五兵衛が追い求めていた父の仇の情報を伝える。一方、源五兵衛は薩摩に帰り、おまんの屋敷に奉公人として潜り込むがここで騒動が起こり、はずみで源五兵衛がおまんに切りつけてしまい、源五兵衛も腹を切る。そこにかたき討ちを果たした三五兵衛と小万が駆け付け、名医のもとに連れて行って2人の命を救う、という筋書きである。 なお、宝永3年(1706年)には近松門左衛門によっておまん・源五兵衛を登場させた『鳥辺山心中』が上演されるが、京都で寛永3年(1626年)に発生した別の心中事件(お染半九郎)の男女の名を借りたものに改められている。 『薩摩歌』を下敷きとして、吉田冠子らの合作浄瑠璃『薩摩歌妓鑑(さつまうたげいこかがみ)』(1757年)などが作られている。この作品はお家騒動物。
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