初期の土木技術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:30 UTC 版)
「ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「初期の土木技術」の解説
B&Oの建設が始まった1820年代、鉄道の技術は未熟だった。どんな材質が要求を満たすかもわからず、B&Oは花崗岩で多くの建造物を造った。鉄の帯を表面に貼り付けたレールの道床も石であった。 花崗岩は、すぐにこうした用途には不向きでかつ費用もかかることが判明したが、B&Oの多くの橋は現在でもなおその姿をとどめており、CSXの列車がその上を通過している。前述のとおり、ボルチモアのカロルトン橋はB&O最初の橋であり、世界最古の供用中の鉄道橋でもある。リレイのトーマス橋は1835年の完成時点ではアメリカ一の長い橋だったものであり、やはり現在も供用中である。B&Oは1800年代半ばまでボルマントラス鉄橋も広範囲で使用した。その耐久性と、組み立ての容易さで、鉄道建設をおおいに早めた。 1830年にB&Oがボルチモアから西をめざして建設を始めた時、ポタプスコ川の堤防沿いに遡り、現在のマウント・アイリーに達した。その当時、まだ蒸気機関車の運転についてのノウハウの集積は少なく、鉄車輪が鉄の軌条の上を走ってパース・リッジまで登ることができるのか確信を持てなかった。B&Oは尾根の両側に各2基計4基のインクラインを設置し、馬、あるいは蒸気機関によるウインチで列車を押し上げるのをアシストした。すぐに、この部分が運営上のボトルネックとなることが判明し、10年もたたないうちにB&Oは5.5マイル(約8.8km)の、現在マウント・アイリー・ループとして知られる代替ルートを建設した。インクラインは早々に廃止され、現在は遺物が残るのみである。
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