創業と地場資本同士の企業統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:23 UTC 版)
「ユニオンソース」の記事における「創業と地場資本同士の企業統合」の解説
1949年(昭和24年)12月、創業者の井草政吉(いぐさ・まさきち)が、東京都台東区で青星ソース株式会社として設立したのが始まりである。青星は「あおぼし」と読み、当時の製品ラベルには青い星マークと「AOBOSHI」ロゴが印字されていた。東京下町発祥のソースとして月島のもんじゃ焼き店で最も多く使用されており、とんかつ店や洋食店など昔ながらの飲食店でも愛用されてきた。 1957年(昭和32年)3月、東京都板橋区坂下2丁目9番7号に板橋工場を建設して設備増強を行い、本社も板橋工場の敷地内へ移転した。 ソース業界の企業合同の第1号として企業体質の強化などを目的に、1968年(昭和43年)3月1日に大町茂夫の率いる大町ソース株式会社と藤原松太郎の率いる株式会社藤原商店を合併して青星大町ソース株式会社に社名変更、翌1969年(昭和44年)にはユニオン食品株式会社など8社を合併して現社名のユニオンソース株式会社となったという、合併を繰り返した歴史を持つ企業である。社名は合併の際にトラブルが生じないよう、一番小規模であったユニオン食品から採って「ユニオンソース」とした。 一般家庭へのテレビ普及に伴い、1970年(昭和45年)よりテレビCMを開始。当時『肝っ玉かあさん』『ありがとう』などで母親役を演じて人気を集めていた女優の京塚昌子をCMキャラクターに起用した。 昭和の時代は長らく板橋区に本社を置き、板橋工場での生産を続けてきたが、1991年(平成3年)12月、栃木県今市市(現:日光市)に日光工場が完成、マヨネーズ・ケチャップ専用工場として稼働を開始した。 2004年(平成16年)には板橋本社工場の売却と、日光工場内にソース専用の新建屋を建設して移転することが決定し、同年末に日光工場新社屋が完成。翌2005年(平成17年)1月に日光新工場を稼働開始するとともに、板橋工場を閉鎖し、本社を東京都文京区へ移転した。
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