功山寺 (こうざんじ)
功山寺
功山寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:41 UTC 版)
川端にある曹洞宗の寺院で、前身は臨済宗の長福寺。谷の長福寺とも言われていた。毛利秀元のとき、慶長7年(1602年)に修築されて曹洞宗に改宗・笑山寺に改称し、慶安3年(1650年)には秀元の戒名より功山寺に名称が変わった。長福寺の開山は虚庵玄寂禅師といわれている。山号は金山。本尊は釈迦如来。 大内氏の時代には功山寺の前身となる長福寺は手厚く保護された。大内義長が弘治3年(1557年)に自害した場所でもあり、墓は功山寺墓地にある宝篋印塔である。真ん中の宝篋印塔が大内義長、右が側近の杉民部、左の五輪塔と宝篋印塔を組み合わせたような墓が陶鶴寿丸のものであると考えられている。これは功山寺37世の百城が裏山で発見したものである。 功山寺内の文化財 功山寺は境内全体としては下関市指定文化財に指定されており、さらに一部は別の記念物に指定されている。功山寺仏殿は国宝で明治21年(1888年)に古社寺保存法のもと、特別保護建造物、明治36年(1903年)4月15日に重要文化財、昭和28年(1953年)11月14日に国宝に指定された。建築方式は唐様(禅宗様)。建立は言い伝えでは嘉暦2年(1327年)、仏殿の柱にある文字によると元応2年(1320年)4月5日で唐様(禅宗様)の建造物としては日本最古である。 功山寺山門は市指定有形文化財で、安永2年(1773年)に10代藩主毛利匡芳の命令で建立された。この山門は二重櫓となっており、2階に当たる部分には20体程度の仏像がある。昭和45年(1970年)3月4日に市指定有形文化財に指定された。 功山寺輪蔵は仏殿・書院前にある輪蔵と呼ばれる建造物(画像)で第11代長府藩主、毛利元義が寛政11年(1799年)に寄進したもの。 功山寺地蔵堂内にある木造地蔵菩薩半跏像は県指定の有形文化財に指定されている仏像で昭和41年(1966年)6月10日に指定された。製作されたのは12世紀ごろで、台座以外は製作当時のままを保っており、その点で価値は高い。
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