北朝鮮側の説明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 20:57 UTC 版)
北朝鮮側の説明によれば、有本は1985年に石岡亨と結婚、一児をもうけたものの、1988年にガス中毒で一家3人全員が死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認をしていない。 なお、1988年9月、北海道の石岡の家族のもとにポーランド消印のエアメールが届いており、それは「石岡・有本をふくむヨーロッパで失踪した3人の日本人は北朝鮮への長期滞在を余儀なくされたが、厳しい経済事情の当地での長期の生活は苦しく、特に衣服と教育、書籍について困窮している」旨の内容であった。1991年1月17日付「産経新聞」によれば、この手紙を受け取った3人の家族は、そののち、外務省や警察機関に相談をしたが、その際、外務省より「表面化すると、3人の命に保障がないので公表しないように」と助言されたという。「北朝鮮が拉致した日本人」(『コリア・タブーを解く』収載。初出は『諸君!』1991年3月号)のなかで西岡力は、「もしそれが事実なら、日朝国交交渉が始まるかなり前の時点で、外務省は『北朝鮮という国は日本人を自分の意思に反して国内にとどめておき、そのことを家族が日本で公表すると、その日本人の命に危害を加えかねない国だ』という認識を持っていたことになる」として外務省の姿勢に疑念を呈し、「そのような国に対して、なぜ国民の税金を使って経済協力やコメ支援をしなければならないのか、日本政府は当然その疑問に答えるべきだろう」との見解を示している。 なお、2004年11月の第3回日朝実務者協議で北朝鮮側は、2002年に日本政府調査団に提供された8人の死亡確認書と横田めぐみの病院死亡台帳が「本来存在しないものを捏造した」ものであることを認めている。
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