千円札裁判
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千円札裁判(せんえんさつさいばん)とは、当時、前衛芸術家の赤瀬川原平が、1963年に印刷所で「千円札を印刷」して芸術作品を作ったことにともない、行われた裁判。裁判は1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけて行われた。
- 1 千円札裁判とは
- 2 千円札裁判の概要
- 3 第二次千円札事件
千円札裁判
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1963年1月、「千円札の表だけを一色で印刷したもの」(模型千円札)に手を加えたものを作品として発表する。また、千円札を詳細に観察し肉筆で200倍に拡大模写した作品「復讐の形態学」(殺す前に相手をよく見る)を制作し、1963年3月に読売アンデパンダン展に発表した。同1963年に、平岡正明・宮原安春ら「犯罪者同盟」が発行した単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』により、平岡らが猥褻図画頒布で逮捕された際、同著に赤瀬川の「千円札を写真撮影した作品」が掲載されていたことから、赤瀬川の作品は警察の知るところとなる。その後、曲折があり、1965年に「模型千円札」が通貨及証券模造取締法違反に問われ、起訴される。弁護人には瀧口修造といった美術界の重鎮たちが名を連ね、話題となった。1967年6月の東京地方裁判所の一審で「懲役3月、執行猶予1年、原銅版没収」の判決。控訴ののち1970年に執行猶予つきの有罪確定。その後、前衛芸術からは身を引くようにしていく。 詳細は「千円札裁判」を参照
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