南京事件に関してとは? わかりやすく解説

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南京事件に関して

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 18:53 UTC 版)

ベルンハルト・シンドバーグ」の記事における「南京事件に関して」の解説

上海事変当時、シンドバーグは上海で英デイリー・テレグラフ社の記者ペンブローク・スティーブンスの運転手として働いていたが、1937年11月スティーブンス誤って日本軍射殺されるその後、シンドバーグはデンマークの F.L. Smidth 社に南京郊外建設中江南セメント工場警備のために雇われ12月2日にそこに到着する。そこにいたドイツ人カール・ギュンター博士とともに、シンドバーグはこの工場爆撃からまもるため屋根デンマーク国旗描きドイツデンマークの旗掲げたところ、それに気づいた現地民間人殺到、彼らはそれら60001万人の難民受入れ仮設病院作り治療などをほどこしまた、車を走らせて難民のために国際赤十字から薬・食糧・衣服等を集めることを繰り返していたという。中国は、シンドバーグ氏に助けられ市民は約2万人に上るとしている。シンドバーグは、1937年12月南京戦日本軍によって南京陥落したあと、1938年2月の手紙で、近辺同様な難民施設設けていた棲霞山寺高僧からの依頼で、日本軍暴虐からの保護海外求め手紙ドイツ語翻訳し連絡した棲霞山寺高僧1938年1月25日報告以下の通り2万4000人の難民が寺にいて、大半女子供である。男は射殺されたか、拉致された。 1938年1月4日日本兵トラック一台にのってやってきて、牝牛九頭盗み中国人屠殺させた。ひまつぶし近所で数軒の家を焼いた1月6日河岸から多く日本兵来てロバ一頭寝具18盗んだ1月7日日本兵一人婦人14歳少女強姦し寝具を5奪った1月8日9日婦人6人が日本兵銃剣脅され強姦された。 1月11日婦人4人が強姦され、酔っぱらった兵隊が寺をかけまわって小銃乱射し多くの者を負傷させた。(民族名無記名1月13日多く兵隊食糧大量に没収し母と娘強姦。(民族名無記名1月15日多く日本兵若い女10人を寺で強姦した一人泥酔した日本兵が酒と女を出せ要求した。酒は出したが、女は出さなかった。 彼は立腹して銃を乱射しはじめ、少年2人殺し、また道ばた一軒の家で70歳老農婦を殺しロバ一頭盗み、家に火をつけた。 1月16日強姦略奪くりかえされた。(民族名無記名1月18日ロバ三頭盗まれた。(民族名無記名1月19日日本兵寺中暴れまわり、戸や窓や家具をこわし、ロバ七頭盗んでひきあげた。 1月20日頃、別の分遣隊到着して棲霞鉄道駅警備交替しました。新し中尉がきてから事態改善され、寺にも警備兵一人ついた。 近年再認識されるようになった資料では、シンドバーグ自身の方の難民施設では、大きな問題は起こらなかったように見えるが、マギーは、そこを訪問した時に日本兵が女を求めてくるので周辺村長格の者たち10人ほどで警戒当たっており、彼らが日本兵要求拒むがそのために彼らは殴られる語ったことを証言している。シンドバーグの難民施設では大規模な殺人虐殺はなかったものの、シンドバーグは性的虐待を完全に阻止することはできず、1937年12月14日から‎1938年1月27‎‎日までの間に、彼は日本犯罪26件を記録し南京国際安全委員会報告書提出した南京大虐殺紀念館成山館長は、シンドバーグは日本軍による南京大虐殺目撃者であると主張する。ただし、日本ではシンドバーグは掠奪強姦被害受けた僧侶報告翻訳したにとどまるとしばしば主張される。しかし、シンドバーグは写真趣味としていたため、日本軍残虐行為に関するものもを含む、彼が1937-1938年に撮ったとされる写真テキサス大学オースチン校にコレクションされている(上海事変写真南京事件写真がどこまで区別されているかは不明)。これらは、シンドバーグが平素から撮りためておいたもの身を守るため未現像のまま会社船荷密かに運び出し海外同僚現像してもらったものとされ、戦後まで未公開のままとなったものも多いとされる1938年3月彼は職を解かれその後中国離れる情勢落ち着いてきたので単にその時期にあたったためとも考えられるが、日本軍圧力によるとする説もある[要出典]。実際にベイツ日本軍がシンドバークに不満を持ってたらしきこと、彼が南京去った後になっても、大使館員がベイツにシンドバークがカメラマンでなかったか質問してきたことを書き残している。)。南京大虐殺紀念館は、シンドバーグの写真書簡は、日本による南京大虐殺告発する重要な記録証拠であるとし、展示にも使われており、訪中したデンマーク女王閲覧した。また、関係性不明だが、南京大虐殺紀念館彼の同僚であったカール・ギュンターの遺族からも南京事件に関する当時写真の提供を受けている。 2019年9月行われたオーフスでのシンドバーグ氏の像の除幕式には、デンマーク女王マルグレーテ2世出席した

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南京事件に関して

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:12 UTC 版)

便衣兵」の記事における「南京事件に関して」の解説

南京事件 (代表的なトピック)」および「南京事件論争」も参照 1937年南京陥落の際には「南京安全区」に逃走した中国兵を、日本軍便衣兵として多数摘発して逮捕・処刑したが、これについては、便衣兵摘発適格であったかなど、以下のように論議ある。1937年日中戦争の際には中国国民党が、便衣兵による日本軍への襲撃行っている。

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南京事件に関して

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 00:31 UTC 版)

南京軍事法廷」の記事における「南京事件に関して」の解説

南京虐殺(南京事件)関連では、第6師団長谷寿夫、同師団歩兵第45連隊中隊長田中軍吉、および、戦時中新聞百人斬り競争実施した報じられ向井敏明少尉野田毅少尉起訴され、谷が1947年4月に、残る3人が1947年12月死刑判決を受け、処刑された。 谷寿夫 - 当時陸軍中将第10軍隷下第6師団長。1947年3月10日BC級戦犯として死刑判決を受け、4月26日同地銃殺刑享年64当人虐殺中島・末松らの部隊が行ったものだと主張した(これは指揮官クラス公に南京虐殺存在認めた唯一のものだとされる。)。しかし、虐殺等について互いに他人行為利用して目的達成しようとした以上、共謀共同正犯として責任を負うとされ、さらに、本人管轄し中華門一帯でも虐殺事件等が起きていることも指摘され有罪免れなかった(なお、共謀共同正犯共謀黙示でも良いし、必ずしも事前でなく実行の際でも良いとされる)。この中一帯暴虐行為については、証言募ったところ四百余人申し出公判では八十余人証言したという。ベイツやスマイスの声明書公判提出されている。谷は自身部下柳川部隊関係者証人として呼ぶことを要請したが、彼らは本来共犯容疑者であり私情から庇うとみられるため判決根拠出来ない要請単なる時間稼ぎである、として認められなかった。谷当人上申書書き再審請求したが容れられなかった。 田中軍吉- 当時陸軍大尉第6師団中隊長300人斬り容疑起訴山中峯太郎編著『皇兵』(昭和15年)のなかの「三百人も斬った隊長愛刀助広」として説明されたことや中国人処刑写真など証拠とされ、死刑判決処刑写真処刑者自分であることを否定できなかったとされる一方で反証提出許されなかったとする説がある。1948年1月28日雨花台銃殺刑享年42向井敏明 - 当時陸軍少尉第16師団歩兵第9連隊百人斬り競争容疑起訴1947年12月12日公判18日死刑判決東京日日新聞昭和12年12月13日記事、それを転載しハロルド・J・ティンパーリ書籍証拠とされた。反証提出許されなかったとする説がある。百人斬り自分ホラ話とし、当時部下証人として呼ぶことを要求したが、部下証言では信頼性欠け単なる時間稼ぎであるとして認められていない1948年1月28日雨花台銃殺刑享年36野田毅- 当時陸軍少尉第16師団歩兵第9連隊百人斬り競争容疑向井敏明田中軍吉と共に死刑判決受けて1948年1月28日雨花台銃殺刑享年35田中軍吉、向井敏明野田毅の3名は南京虐殺について、実行行為者として共同正犯にあたるとされたものであるが、中国軍事法廷は、新聞報道記者証言、被告人らの証言対す心証等を元に有罪認定しており、3名の「犯行」の実行特定する証人については、死人に口なしとはいえ見つけてはいない。なお、被告の中からは百人斬りの話を記者にしたことについて英雄視され良縁を得るためという説明もなされ、これ自体事件後の実際事実経過一致しているのだが、判決文を見るかぎり、裁判官はこれをまともな話と受け取ってないよう思われる。[どこ?][誰?] 判決では、南京全体証言のあった揚子江沿岸での捕虜・難民虐殺者数、民間篤志団体集団埋葬者数を積み上げる形で「虐殺被害者総数三〇万人以上に達する。」と認定現在の中国政府主張する事実上最低で)犠牲者三十万人以上説の根拠となっている。

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