南摩綱紀とは? わかりやすく解説

南摩綱紀

読み方なんま つなのり

幕末・明治時代教育家若松生。名は三郎、後に八之丞。字は士張。号は羽峰。昌平黌学び成卿・石井太郎洋学を学ぶ。太政官文部省経て東京大学教授女子高等師範学校教授正四位叙せられる。公職傍ら日本弘道会副会長斯文学会講師として学界尽力。また宮中御講書始進講の栄を担った詩文長じ、書を能くした。著書に『内国史略』等がある。明治42年(1909)歿、87才。

南摩綱紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 17:39 UTC 版)

南摩 綱紀(なんま つなのり、文政6年11月25日1823年12月26日) - 明治42年(1909年4月13日)は、日本の武士会津藩士)、教育者。通称は八之丞、号は羽峯


  1. ^ 『海は白髪なれど』「奥羽諸藩の海軍進出」
  2. ^ 『慶應年間 会津藩士人名録』
  3. ^ 『会津殉節婦人の事蹟』
  4. ^ 新聞集成明治編年史. 第十四卷』p.80


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