南極探検隊の結成と出発とは? わかりやすく解説

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南極探検隊の結成と出発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:30 UTC 版)

白瀬矗」の記事における「南極探検隊の結成と出発」の解説

明治42年1909年)、アメリカ探検家ロバート・ピアリー北極点踏破ニュース聞き失望落胆する。そこで北極探検断念し目標南極点変更するが、アーネスト・シャクルトン南緯8823分に到達した知り意気消沈した。さらに、イギリス政府ロバート・スコット南極探検来年挑む発表すると、白瀬即座に競争決意したスコット1910年イギリスの王立地理学会から支援を受け、科学調査とともに南極点到達目標にしていた。 明治43年1910年)、白瀬南極探検費用補助帝国議会建議した衆議院満場一致可決したものの、政府はその成功を危ぶみ3万円補助金支出しなかったため、渡航費14万円国民義援金に頼ることとなった政府の対応冷淡であったが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}国民熱狂的に応援した[要検証ノート]。 船の調達難航し予算2万5千円程度だったため、残金も十分ではなかった。最終的に千島探検険悪の仲となっていた郡司成忠頭を下げ積載量204トン木造漁船買い取り中古蒸気機関取り付けるなどの改造をした。この船は、東郷平八郎によって「開南丸」と命名された。極地での輸送力29頭のだった。 同年7月5日神田南極探検発表演説会開催した当日中に南極探検後援会組織され幹事三宅雪嶺押川方義桜井熊太郎村上濁浪田中舎身、佐々木照山会長には大隈重信就任した同年11月29日開南丸芝浦埠頭出港したが、航海中にほとんどの原因不明死んだ。さらに、白瀬と書長の多田恵一船長野村直吉と他隊員との間に不和起こった明治44年1911年2月8日に、ニュージーランドウェリントン港に入港物資積み込み2月11日南極向けて出港したが、すでに南極では夏が終わろうとしており、氷に阻まれて船が立往生する危険が増したため、5月1日シドニー入港した。 ここで、資金調達のために、書記長多田船長野村帰国したが、後援会内部では村上濁浪会費使い込んだという疑惑起きて内紛発生した一方シドニー滞在していた本隊でも内紛発生しており、隊員による白瀬毒殺未遂事件起きたその後探検用の樺太犬連れてシドニー戻った多田加えた隊は、表面上は和解して再び南極目指して、明治44年1911年11月19日出港した明治45年1912年1月16日南極大陸上陸し、その地点を「開南湾」と命名した同地上陸探検不向きであったため、再び開南丸ロス棚氷クジラ湾向かったクジラ湾内では、南極点到達から帰還するロアール・アムンセン探検隊収容するために来航していた「フラム号」と遭遇限られた形ながら接触している。 その後クジラ湾より再上陸し、同年1月20日極地に向け出発した。この時点では南極点到達断念し南極学術調査とともに領土確保することを目的とした。 同年1月28日帰路食料考え南緯80度5分・西経15637分地一帯を「大和雪原やまとゆきはらやまとせつげん)」と命名して、隊員全員万歳三唱同地に「南極探検同情芳名簿」を埋め日章旗掲げて日本の領土として占領する」と先占による領有宣言した。この領有宣言は、アーネスト・シャクルトンならって行われた。なお、この地点棚氷であり、領有可能な陸地ではないことが後に判明した白瀬突進数名上陸地点付近での気象観測開南丸ロス周辺調査行い付近の湾を「大隈湾」「開南湾」と命名した。なお、これらの地は氷上であり大陸ではない。 探検の記録映像日本南極探検』は東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵しており、展示室のビデオモニターでその一部鑑賞できる

※この「南極探検隊の結成と出発」の解説は、「白瀬矗」の解説の一部です。
「南極探検隊の結成と出発」を含む「白瀬矗」の記事については、「白瀬矗」の概要を参照ください。

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