参詣客
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 07:27 UTC 版)
身延山・七面山参詣は、自動車交通の一般化以前は、身延山久遠寺から奥の院に登り、そこから赤沢に降りて1泊し、翌日七面山に登るというコースが一般的であった。 江戸時代、庶民の物見遊山が一般化する過程で客が増えたと考えられ、最盛期である明治期には、総戸数40戸程度の集落に9軒の旅館があった。最も客の多い夏の時期には旅館だけでは客を泊めきれず、旅館の蔵や周囲の民家にも宿泊したという記録がある。また、1晩泊まるのではなく、第1陣の客が何時間か仮眠のあと出発すると第2陣を泊め、その後は第3陣と、3交代で泊めたという話も地元に伝わっている。 しかし、七面山登山口までの車道が整備されると、参詣客は身延山を往復し、その後七面山登山口にバスで来て七面山を往復して帰る、というコースを取るようになり、中継点である赤沢から客足が遠のくこととなった。 利用客の減少や後継者がいないなどの問題があり、1990年代前半に6軒あった旅館は2000年前後には3軒に減少、2005年からは、営業を続ける旅館は1軒のみである。 石畳 講中宿と七面山 軒下の和傘
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