えいふく‐じ【叡福寺】
えいふくじ 【叡福寺】
叡福寺
名称: | 叡福寺 |
ふりがな: | えいふくじ |
名称(棟): | 聖霊殿 |
名称(ふりがな): | せいりょうでん |
番号: | 2020 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1977.01.28(昭和52.01.28) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 大阪府 |
都道府県: | 大阪府南河内郡太子町大字太子 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行三間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺、 南面突出部 桁行三間、梁間二間、一重入母屋造、本瓦葺 |
時代区分: | 桃山 |
年代: | 慶長8(1603) |
解説文: | 聖徳太子の墓前に営まれた寺院。 聖霊殿は聖徳太子像を祀るもので、豊臣秀賴の再興になる。 平面L字型の特異な形式をもつ仏堂で、細部の手法はよく時代の特色を示す。 多宝塔は比較的木割が太く、正統派に近い塔である。 共に良質で、保存が良い。 |
叡福寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/14 00:16 UTC 版)
叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町太子にある太子宗の本山の寺院。山号は磯長山(しながさん)。本尊は如意輪観音。新西国三十三箇所客番札所。聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。開基は聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。聖徳太子建立三太子の一つで、野中寺(羽曳野市)の「中の太子」、大聖勝軍寺(八尾市)の「下の太子」に対して、「上の太子」と呼ばれている。また、大阪みどりの百選に選定されている[1]。
- 1 叡福寺とは
- 2 叡福寺の概要
叡福寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)
叡福寺は、太子の墓所とされる叡福寺北古墳の墓前寺で、「上之太子」とも呼ばれる。創建については、太子らを合葬した際に推古天皇から土地の寄進をうけて墓守の僧坊を建てたことが始まりとする説と、太子追善の為に聖武天皇が神亀元年(724年)に伽藍を建立したとする説の2つが伝わるが、当時の史料に記録が見られず詳細は不明である。また寺伝では、嵯峨天皇以来歴代天皇の行幸があったと伝えるが、伝承の域を出ない。
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