口のなかで木が枯れるおと折れるおと
作 者 | |
季 語 | |
季 節 | 冬 |
出 典 | |
前 書 | |
評 言 | 木が枯れるということは、枯木と同じで冬の季語であろう。しかし、ここでの木が枯れるということは、季語としての枯木が意味する「次の芽吹きの季節への充実として自ら葉を落とし裸木となること」と決して同義ではない。もっと切実な、それこそ計り知れない本質的な暗さを秘めている木であろう。 例えば「大正池の木」と題するエッセイで、作者中野茂は「私は裸木と対面する時、上高地の大正池をおもい浮かべる。ひとひらの葉も持たないその木は仲間と手をつないで枝を挙げようとはしない。空へ向ける手がないからだ。苦しみぬいたあげくのことであろう。」と書いている。 そして、苦しみ抜いたあげくの裸木に寄せる彼の眼差しは、口の中で木が枯れる音を聞いてしまう聴力へと転換し、しかも木の淋しさを口の中の、剥き出しの肌で感じ取るという皮膚感覚も持ち合わせている。こいう繊細な感性を拠り所にして中野茂は、俳句という詩形の中で言葉を意識的に操作しながら、作者自身はもとより、読者をも息苦しいまでの闇へと誘い込んでゆく。 この閉ざされた闇の深さゆえに作者は心身を病むことにもなるのだが、聞こえないものを聞こうとする孤影こそが、若き日の私を俳句へと誘ったのである。 薔薇踏むや空でけものが咬みあえり 夏雲やわが顔じゅうに鱗がつき 作者中野茂は戦後すぐから俳句と係わり、第1句集「魚眼」の略歴によれば、二十代で合同句集を刊行。その繊細な俳句は昭和39年「俳句評論」入会後、高柳重信に深く影響を受けたとある。昭和59年「石の火」刊行後徐々に体調を崩し、平成6年64歳で永眠された。 |
評 者 | |
備 考 |
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