合気道経験者とは? わかりやすく解説

合気道経験者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:05 UTC 版)

合気道」の記事における「合気道経験者」の解説

(※ 生年順) 浅野正恭海軍中将心霊研究家。弟の浅野和三郎大本幹部であった縁で大正末期平に入門綾部指導を受ける。同じ海軍竹下勇に「凄い武道家がいる」と盛平を紹介し、盛平が世に出るきっかけつくった竹下勇海軍大将第14代連合艦隊司令長官第3大日本相撲協会会長1925年大正14年)盛平を東京招請軍政財界要人に盛平を紹介し武道家としての盛平を世に知らしめた。門人として献身的に盛平を支え公私渡り強力な支援者となる。(財)皇武会(合気会前身初代会長二木謙三医学博士東京帝国大学医学部教授日本医学界重鎮昭和初期十年代、毎朝内弟子寝込み襲い叩き起こして朝稽古励んだという。(財)皇武会理事。昭和18年頃には大病患った盛平のために交通事情の悪い中を茨城県岩間まで往診した三浦真…陸軍少将1930年昭和5年入門日露戦争銃剣で胸を刺し貫かれる重傷負いながら敵兵軍刀斬り倒し続け一躍当時英雄となった武田惣角弟子であり、盛平の分派独立憤慨し道場破りに来たが、盛平の技に感嘆しその場入門した。自らが校長務め陸軍戸山学校武道指導者として盛平を招いた山本英輔海軍大将。第19連合艦隊司令長官1927年昭和2年)頃入門高橋三吉海軍大将1928年昭和3年入門。盛平を自らが校長務め海軍大学校武道講師招聘した。 百武源吾海軍大将徹底した対米協調・避戦派。海軍追われた後、第7代九州帝国大学総長1928年昭和3年入門近藤信竹海軍大将1928年昭和3年入門中里介山小説家代表作大菩薩峠」で有名。1929年昭和4年入門柳原白蓮歌人大正三美人一人大正年間当時一大スキャンダルとなった「恋の逃避行中に綾部大本教団に身を寄せ植芝塾の稽古熱心に通ったという。また昭和以降上京後も盛平から弟子就職世話頼まれるなど交流続いた岡田幸三郎実業家塩水港精糖社長1926年大正15年昭和元年入門。(財)合気会理事皇武会の設立財団法人認可申請立案尽力藤田欽哉実業家ゴルフコース設計者霞ヶ関カンツリー倶楽部創設者日本ゴルフ界の草分け1926年大正15年昭和元年入門皇武会・合会の設立財団法人認可申請立案尽力。(財)合気会理事東条英機陸軍大将。第40代内閣総理大臣1934年昭和9年関東軍司令官時に憲兵隊武術指導に来た富木謙治(盛平高弟)の技を絶賛し、自らも熱心に学んだ前田利為陸軍大将華族侯爵加賀前田家16当主)。盛平を自らが校長務め陸軍大学校武術指導者に迎えた。(財)皇武会理事。 尾上菊五郎六代目)…歌舞伎役者1929年昭和4年入門市川猿翁二代目之助)…歌舞伎役者1929年昭和4年入門石井光次郎政治家。第54衆議院議長日本体育協会会長自民党石井派領袖として副総理法務大臣など主要閣僚歴任1928年昭和3年朝日新聞勤務時代入門朝日新聞大阪本社に盛平指導道場設立させるなど朝日社内合気道広めた。(財)合気会理事。盛平の葬儀では友人代表を務めた大石ヨシエ政治家婦人運動家。女性初の代議士一人大本時代大正年間綾部植芝道場入門富田健治内務省官僚政治家。第45内閣書記官長。第25代官長野県知事貴族院議員戦後代議士大阪府警察部長の時、第二次大本事件警察拘束された盛平の窮地救った。(財)合気会初代理事長西勝造西式健康法創始者土木工学者技術者合気道合気会六段。(財)合気会理事藤田欽哉と共に合気会財団法人認可尽力胃腸障害苦しむ盛平に野菜食を指導した賀陽宮恒憲王皇族陸軍中将陸軍戸山学校長、陸軍大学校長、師団長などを歴任1938年に盛平が出版した技術書『武道』は、当時盛平が個人指導行っていた賀陽宮のための解説書として作られたものであった友末洋治政治家官選45代、民選初代第3茨城県知事皇武会の財団法人化厚生省担当官として尽力天竜三郎大相撲力士関脇)。相撲解説者相撲界改革訴えた春秋園事件知られる1939年昭和14年)、満州国で演武会で盛平に腕試し挑み投げられたのをきっかけ入門高松宮宣仁親王皇族大正天皇第三皇子)。海軍大佐海軍大学在学中1934年昭和9年)~1936年昭和11年))武術師範であった平に指導受けた野間恒講談社第2代社長剣道家剣道教士)。昭和天覧試合等で優勝し天才剣士」「昭和大剣士」と称された。1935年昭和10年以降に盛平に入門野間により撮影され当時の盛平の技の写真数百有ることが知られている。 中倉清剣道家剣道居合道範士九段)。警察官剣道公式戦69連勝という前人未踏記録樹立、「昭和武蔵」と称される。師の中山博道が盛平と親しかった縁で、共に「有信館三羽烏」と呼ばれた羽賀準一中島五郎と、新設された「皇武道場剣道部」で活動した1932年昭和7年)に盛平の婿養子となるが1937年昭和12年)に離縁園田直政治家。第110代外大臣合気道合気会八段。(財)合気会理事全日本合気道連盟会長。盛平の死去に際して葬儀委員長務めた鎌田茂雄仏教学者天道流合気道六段荒川博プロ野球選手監督1956年昭和36年)、合気会本部道場入門合気道合気会六段合気道から着想した打撃理論王貞治に「一本足打法」を指導ホームラン王育てる。 海部俊樹政治家。第76・77内閣総理大臣合気道合気会三段。(財)合気会理事広岡達朗プロ野球選手合気道合気会三段監督として弱小球団であったヤクルト西武日本一に導く。2010年平成22年1月アメリカ大リーグ・ドジャースに臨時コーチとして合気道指導針すなお漫画家合気道合気会)七段。佐賀合気道道場「高伝館」館主榎本喜八プロ野球選手合気道合気会三段 荒川博と共に合気道参考にした打法研究、「安打製造機」「打撃神様」と呼ばれる亀井静香政治家。第1516特命担当大臣金融郵政改革)。第2代国民新党代表。養神館合気道六段東大合気道部主将務めた1961年昭和36年)に全日本学生合気道連盟結成初代委員長となる。(財)合気会理事小渕恵三政治家。第84内閣総理大臣早稲田大学合気道部昭和3年卒。日本合気道協会四段鈴木邦男政治活動家日本合気道協会三段杉良太郎俳優養神館合気道五段。 倉田保昭俳優合気道二段永倉万治作家最晩年合気会支部道場入門死の直前まで学ぶ。 内田樹思想家神戸女学院大学文学部名誉教授合気道合気会六段由美かおる女優合気道合気会三段クリストファー遙盟尺八演奏家合気道三段1975年小林保雄道場入門スティーブン・セガール俳優青年時代来日大阪合気道学び道場長を務めた後、ハリウッド渡りアクション映画スターとなる。合気道合気会)七段。 加来耕三歴史家作家合気道合気会四段堤大二郎俳優天道流合気道初段小西博之俳優。「[特 技] 合気道」(公式プロフィールによる)。 加藤鷹AV男優。「合気道初段」(公式プロフィールによる)。 加藤雅也俳優。「特技合気道」(公式プロフィールによる)。 葛城奈海タレント合気道合気会)五段。 大月晴明キックボクサー、K-1選手昭道館合気道富木流)を学び、この技術取り入れ高いKO率を誇る。WPKC世界ムエタイライト級王者斉藤工俳優。「趣味 合気道」(公式プロフィールによる)。 秋元才加アイドル歌手AKB48メンバー)。合気道二段ユンホ東方神起メンバー合気道世界大会3位経験

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