呼都而尸道皐若テイ単于
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呼都而尸道皋若鞮単于(呉音:こつにしどうこうにゃくたいぜんう、漢音:ことじしとうこうじゃくていせんう、ピンイン:Hūdōuérshīdàogāoruòdīchányú、? - 46年)は、中国新時代から後漢時代にかけての匈奴の単于。呼韓邪単于と第5閼氏との子で、烏累若鞮単于の異母弟。呼都而尸道皋若鞮[1]単于というのは単于号で、姓は攣鞮氏、名は輿(よ)という。
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- ^ “若鞮”とは匈奴の言葉で“孝”という意味である。当時、漢の歴代皇帝が帝号に“孝”をつけていたため、匈奴は復株累若鞮単于以降、それを真似るようになった。<『漢書』匈奴伝下、『後漢書』南匈奴列伝>
- ^ 従来の漢による印綬には「匈奴単于璽」と刻まれていたが、新の印綬には「新匈奴単于章」と刻まれていた。前の印綬には匈奴の自立性を尊重して“漢”の文字を入れなかったが、新しい印綬には新朝に服属するという意味を込めて、わざわざ“新”の文字を入れ、さらに“璽”から“章”にランクを落とされた。
- ^ 復株累若鞮単于と王昭君の娘。
- ^ 呼韓邪単于と王昭君の子。
- ^ 右骨都侯の須卜当と伊墨居次の云との子。
- ^ 伊墨居次の妹である当戸居次の子。
- 1 呼都而尸道皐若テイ単于とは
- 2 呼都而尸道皐若テイ単于の概要
- 3 参考資料
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