和魂漢才碑とは? わかりやすく解説

和魂漢才碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 16:00 UTC 版)

座田維貞」の記事における「和魂漢才碑」の解説

菅原道真作『菅家遺誡』中の2章を「要文二則」と呼び、その普及のため各地に和魂漢才碑を建立した。 第21凡そ神国一世無窮玄妙なるものは、敢へて窺ひ知るべからず漢土三代、周孔の聖経を学ぶと雖も革命国風深く思慮加ふべきなり。 第22凡そ国学の要とする所は、論、古今に渉り、天人究めんと欲すと雖も和魂漢才にあらざるよりは、その閫奥を闞(うかが)ふことあたはず。 北野天満宮和魂漢才碑 東坊城聡長揮毫により嘉永元年1848年4月本殿東に建立2005年平成17年覆屋作られた。 神護寺和魂漢才実事篤行鷹司政通揮毫により嘉永4年1851年)護王社前建立。「篤行」は『中庸』「明弁之、篤行之」(明らかに之を弁じ篤く之を行ふ)による。1898年明治31年清麻呂墓碑左側1933年昭和8年)頃墳墓入口前の山道に移された。嘉永4年1851年10月には護王社本殿前に灯籠2基を寄進し、1886年明治19年遷座により移転2006年平成18年本殿左右横に移転した大坂天満宮和魂漢才碑 東坊城聡長揮毫により嘉永5年1852年大倉好斎建立嘉永5年1852年3月には関東勤皇思想広めるため神護寺普賢院の名で江戸浅草寺に「江戸浅草寺内ニ清麻呂公之社を建立する願書」を提出したが、実現しなかった。 『菅家遺誡』は当時から六人部是香黒川春村により古代に「国学」「和魂のような語はないとして偽書説唱えられていたが、維貞は「即(かり)に他人の手出づるも、苟しくも以て人に訓(をし)へ、国に報いるべくんば、即ち当に尊信してこれを表章すべし」として活動擁護している。 戦後加藤仁平和魂漢才説』により、「要文二則」は谷川士清日本書紀通証』が『菅家遺誡』を引用した際の細注本文一部誤解され混入したものと判明した

※この「和魂漢才碑」の解説は、「座田維貞」の解説の一部です。
「和魂漢才碑」を含む「座田維貞」の記事については、「座田維貞」の概要を参照ください。

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