咸秉春とは? わかりやすく解説

咸秉春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 06:45 UTC 版)

咸 秉春
各種表記
ハングル 함병춘
漢字 咸 秉春
発音: ハム・ビョンチュン
テンプレートを表示

咸 秉春(ハム・ビョンチュン、함병춘、1932年2月26日 - 1983年10月9日)は、韓国外交官法学者

生涯

1932年、京城生まれ。京畿高等学校を卒業した後渡米し、ノースウェスタン大学経済学科を卒業、専攻を法学に変え1959年、ハーバード大学で法学博士号を取得する。1959年、延世大学校教授に着任、法哲学、英米法、韓国法制史の講義を担当し、新たな研究領域を開拓した。梁承斗と共同で韓国人の法意識に関する研究を実施、韓国語論文のほか英語論文を多数発表した。

1970年、朴正煕大統領の外交安全保障担当特別補佐官となり、1974年駐米大使として赴任した。朴正煕暗殺事件後は延世大学校教授に復帰し法哲学、東洋法制史、法人類学の講義を担当する。1982年全斗煥大統領の秘書室長に就任したが、1983年ビルマラングーン事件に巻き込まれて殉職した。51歳没。

家族

父は副大統領を務めた独立運動家の咸台永(咸秉春はその末っ子)、長男は延世大学校政治外交学科教授の咸在鳳朝鮮語版、次男は延世大学校法科大学教授の咸在鶴朝鮮語版である[1]

注釈


公職
先代
李範錫
大韓民国大統領秘書室室長
1982 - 1983
次代
姜慶植
外交職
先代
金東祚
在アメリカ合衆国大韓民国大使
第9代:1973 - 1977
次代
金溶植




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「咸秉春」の関連用語

1
30% |||||

2
14% |||||

3
14% |||||

4
12% |||||

5
10% |||||


咸秉春のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



咸秉春のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの咸秉春 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS