ばい【▽唄】
ばい【▽唄】
読み方:ばい
1 声明(しょうみょう)の一種。漢語または梵語(ぼんご)で偈頌(げじゅ)を唱えるもの。短い詞章を一音一音長く引いて、揺りなどの節を多くつける。如来唄・云何唄(うんがばい)など。
2 「唄器(ばいき)」の略。
うた【歌/唄】
読み方:うた
1 拍子と節をつけて歌う言葉の総称。また、それを歌うこと。神楽歌・催馬楽(さいばら)・今様(いまよう)から、現今の唱歌・民謡・歌謡曲などまで種類が多い。
2 一定の音節数によって語の調子を整えた感情の表現。長歌・短歌・旋頭歌(せどうか)や近代詩などの総称。
4 (唄)三味線を伴奏とする「うたいもの」の称。長唄・端唄(はうた)・小唄・地唄など。
[下接語] 東(あずま)歌・後(あと)歌・糸繰り歌・田舎歌・稲刈り歌・稲扱(こ)き歌・今様歌・伊呂波(いろは)歌・祝い歌・牛追い唄・牛方唄・臼(うす)歌・江戸唄・大歌・置き唄・踊り歌・替え歌・返し歌・神楽歌・懸け歌・陰唄・数え歌・片歌・門付(かどづけ)歌・賀の歌・歌舞伎(かぶき)唄・神歌・上方唄・唐歌・杵(きね)歌・木遣(や)り歌・口説き歌・組歌・久米(くめ)歌・下座(げざ)唄・恋歌・小唄・小歌・腰折れ歌・琴歌・木挽(こび)き歌・子守歌・在郷(ざいごう)歌・棹(さお)歌・防人(さきもり)の歌・座敷歌・戯(ざ)れ歌・騒ぎ歌・地歌・仕事歌・地搗(つ)き歌・芝居唄・三味線歌・祝儀歌・巡礼歌・畳句(じょうく)歌・田植え歌・田歌・田打ち歌・立(たて)唄・茶摘み歌・継ぎ歌・付け歌・鼓唄・紡ぎ歌・連ね歌・手鞠(てまり)歌・鳥追い歌・長唄・長歌・長持(ながもち)歌・端(は)唄・白鳥の歌・鼻歌・浜歌・流行(はや)り歌・引き歌・鄙(ひな)歌・百首歌・琵琶(びわ)歌・風俗(ふぞく)歌・船歌・祝(ほぎ)歌・盆歌・盆踊り歌・前歌・馬子唄・鞠(まり)歌・短(みじか)歌・持ち歌・本(もと)歌・大和(やまと)歌・童(わらべ)歌
[補説]
2016年に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。2016」キャンペーンでの「歌」への投稿から選ばれた優秀作品。
◆国境をこえて人と人をつなぐ声の手紙。
アキさん
◆一瞬で過去の自分にタイムスリップできる鍵。
ぽんちょびさん
◆想いを伝える手段。
ほーがさん
◆嬉しいとき、楽しいとき、悲しいとき、落ち込んだときなど、わたしたちの感情に寄り添ってくれるもの。
RUMIさん
◆音痴の地獄。
takuroさん
◆希望やパワー・空想・妄想・情景が浮かぶ歴史年表。心の履歴書。人類にとって共通・共有出来る五線譜。
メスカリートさん
◆言葉を旋律に乗せ、さらにそれを人の声で発することにより、言葉の力を途方もなく増幅するもの。
yatakusaさん
◆人生の節目の思い出になくてはならないもの。その記憶を鮮明に蘇らせてくれる装置。
ピンキーさん
ばい 【唄】
唄
姓 | 読み方 |
---|---|
唄 | うた |
唄 | ばい |
歌
(唄 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 04:35 UTC 版)
歌、唄(うた)とは、声によって音楽的な音を生み出す行為[1]のことであり、リズムや節(旋律)[2]をつけて歌詞などを連続発声する音楽、娯楽・芸術のひとつである。歌謡(かよう)[3]、歌唱(かしょう)[2]とも言う。その起源は旧石器時代にまで遡るとする見解もある[4]。
注釈
出典
- ^ 吉川(1990)p.38-40
- ^ a b c d e f g 大辞林「歌唱」「歌謡」
- ^ a b c d e 世界大百科事典,平凡社「歌謡」
- ^ 武田梵声『フースラーメソード入門』日本実業出版社、2017年、4頁。ISBN 9784534054746
- ^ a b c d 吉川(1990)p.38-40
- ^ a b 吉川「歌いもの」(1990)p.75
- ^ a b c 波多野 和夫 『重症失語の症状学 ~ ジャルゴンとその周辺 ~』 p.158 金芳堂 1991年1月20日発行 ISBN 4-7653-0592-9
- ^ 波多野 和夫 『重症失語の症状学 ~ ジャルゴンとその周辺 ~』 p.157 金芳堂 1991年1月20日発行 ISBN 4-7653-0592-9
- ^ a b 徳江「歌謡」(2004)
- ^ a b c 松村明監修、「大辞泉」編集部編集『大辞泉(第1版増補)』小学館、1998年10月。ISBN 4095012129
- ^ 市川孝・遠藤織枝・進藤咲子・見坊豪紀・西尾寅弥編集『三省堂現代新国語辞典(第3版)』三省堂、2007年10月。ISBN 438514060X
- ^ 和歌#歴史参照
- ^ 金田一春彦・金田一秀穂編集『学研現代新国語辞典(改訂第4版)』学習研究社、2008年12月。ISBN 4053028248
- ^ 佐藤(2004)
唄(コマンド)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 09:37 UTC 版)
パタパタの唄:パタ・パタ・パタ・ポン(□□□○) パタポンを進軍させる。 ポンポンの唄:ポン・ポン・パタ・ポン(○○□○) パタポンに攻撃を行わせる。 チャカチャカの唄:チャカ・チャカ・パタ・ポン(△△□○) パタポンに防御を行わせる。 ポンパタの唄:ポン・パタ・ポン・パタ(○□○□) パタポンに攻撃から逃げる。 ポンチャカの唄:ポン・ポン・チャカ・チャカ(○○△△) パタポンが力を溜める。 ドンドンの唄:ドン・ドン・チャカ・チャカ(××△△) 2より登場。パタポンがジャンプし、攻撃を回避する。 ドンチャカの唄:パタ・ポン・ドン・チャカ(□○×△) 2より登場。パタポン達が騒ぐ。騒ぐとすべての状態異常を治すことができる。 パタポンの唄:パタ・ポン・パタ・ポン(□○□○) 3より登場。パタポンが一時停止する。ポーズ機能であり、ポーズを解くと自動的に防御する。シングルプレイ専用コマンド。 チャカパタの唄(下がれ):チャカ・パタ・チャカ・パタ(△□△□) 3より登場。パタポンが一歩下がる。マルチプレイ専用コマンド。 ミラクル(2)ショカーン(3):ドン・ドドン・ドドン(×・××・××)
※この「唄(コマンド)」の解説は、「パタポン」の解説の一部です。
「唄(コマンド)」を含む「パタポン」の記事については、「パタポン」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/07 16:22 UTC 版)
「ナァハァハァー、モォホホホーィ...」といった念仏に節を付け崩したとされる唄に続き「盆でば米の飯、おつけでば茄子汁、十六ささげのよごしはどうだ...」などと唄われる。また他にも「磐城平で見せたいものは、桜つつじにじゃんがら踊り...」「閼伽井嶽から七浜見れば、出船入船大漁船...」などとも唄われるが、かつては即興で卑俗な歌詞を作り見物の笑いを誘ったともいう。
※この「唄」の解説は、「じゃんがら念仏踊り」の解説の一部です。
「唄」を含む「じゃんがら念仏踊り」の記事については、「じゃんがら念仏踊り」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 08:37 UTC 版)
神輿を担ぐ際には掛け声の他に「唄」が歌われる。唄の歌詞は各地区ほとんど同じである。だが、本来同じでなくてはならない節や詩が若干異なる。これは、自分たちでアレンジしてしまったからである。各地区の中でも、甚句・木遣りともに、一切のアレンジを加えず、昔からの正しい節回し(正調)で歌うのは松部区の武内神社のみ。 また、木遣りに関しては浜勝浦区も正調で歌う。松部区以外(木遣りに関しては浜勝浦区も含む)の地区はアレンジしてしまったがために、正調で歌うことができない。 唄の種類 甚句(村廻り) 木遣り(宮入・担ぎ出し)
※この「唄」の解説は、「勝浦大漁まつり」の解説の一部です。
「唄」を含む「勝浦大漁まつり」の記事については、「勝浦大漁まつり」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 07:58 UTC 版)
「水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)」の記事における「唄」の解説
第1部 - 第3部:杉良太郎・横内正 第4部 - 第8部:里見浩太朗・横内正 第9部 - 第13部、劇場版:里見浩太朗・大和田伸也劇場版の伴奏は里見・横内レコード版の伴奏で収録された。 第14部 - 第17部:里見浩太朗・伊吹吾郎 第18部 - 第28部:あおい輝彦・伊吹吾郎 第29部、1000回スペシャル:G3K(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦) 第30部 - 第32部:橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦(1人ずつ週代わり) 第33部 - 第41部、2015年スペシャル:原田龍二・合田雅吏 第42部第1話 - 第11話:東幹久・的場浩司 第42部第12話以降- 第43部、最終回スペシャル:東幹久・的場浩司 BS-TBS版:財木琢磨・荒井敦史1部~27部、劇場版、33部~38部、BS版・1番2番 28部・1番 29部~32部、39部~最終回スペシャル、2015年スペシャル・1番3番 1000回スペシャル・1番2番3番
※この「唄」の解説は、「水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)」の解説の一部です。
「唄」を含む「水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)」の記事については、「水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 10:20 UTC 版)
唄(音頭)には正調舞台音頭(魚津四季)、本唄古代神、二十八日口徳(歓喜嘆)、口説き節などがあり、「じゃんとこーい、じゃんとこーい」と囃子(合いの手)が入る。演奏(地方)には、三味線、胡弓、太鼓、鉦が用いられる。2012年(平成24年)には新たに保存会の唄の責任者によって、魚津の風景を春夏秋冬それぞれに綴った唄を作詞し、街流しにて初披露された。
※この「唄」の解説は、「せり込み蝶六」の解説の一部です。
「唄」を含む「せり込み蝶六」の記事については、「せり込み蝶六」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 09:16 UTC 版)
読者の間では『ぐりとぐら』に登場する「ぼくらのなまえは…(以下省略)」で始まる自己紹介の唄が有名である。この詩には読者によって無数の曲がつけられており、各家庭や幼稚園・保育園などの間で歌い継がれている。作者自身は単に子供に分かりやすくための表現として詩という形式を選んだだけであり、普通に読んでも節をつけて歌ってもどちらでも構わないとのこと。作者自身は、この詩に曲をつけて歌うことはしないという。
※この「唄」の解説は、「ぐりとぐら」の解説の一部です。
「唄」を含む「ぐりとぐら」の記事については、「ぐりとぐら」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/19 21:57 UTC 版)
歌い手の訛りによっても、歌詞の聴こえ方を正確に記述することができず、また現在日本語の書き方で琉球語の書き下しを完全にできない以上、歌詞の一例を示すものに留まる。一行目=読み方、二行目=工工四などで残されている歌詞、三行目=現代日本語訳を表す。 口承で広まっている歌なので、地域や世代により歌詞が若干異なっている。(現在赤田町で歌われているものは別の歌詞) 一.あかたすんどぅんち くがにどぅーるーさぎてぃ赤田首里殿内 黄金灯籠提ぎてぃ〈首里赤田村の首里殿内に 黄金に輝く灯籠を提げて〉うりがあかがりば みるくうんけーうりが灯がりば 弥勒御迎〈それが明るく灯ったらば 弥勒菩薩をお迎えしよう〉(囃子)しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー ひーじんとー ひーじんとー いーゆぬみー いーゆぬみー二.あがりあかがりば しみなれーがいちゅん東明がりば 墨習が行ちゅん〈日が昇ったら 学校に参ります〉かしらゆてぃたぼり わうやがなし頭結てぃ給り 我親加那志〈髪を結って下さいませ 私の親御様〉 (囃子)三.だいくくぬみるく わがしまにいもちだいくくぬ弥勒 我が島に往もち〈だいこくの弥勒 私の島にもおいで下さい〉うかきぶせみそーり みるくゆがふ御拡きぼせみそーり 弥勒世果報〈そして広めて下さい 弥勒の太平の世「ゆがふ」を〉 (囃子)四.みちみちぬちまた うたうたてぃあしぶ道々ぬ巷 唄歌てぃ遊ぶ〈道々のそこかしこ みんなが唄を口ずさむ―平和な世の中〉みるくゆぬゆがふ ちかくなたさ弥勒世ぬ世果報 近くなたさ〈弥勒の「ゆがふ」が近くなったようだよ〉 (囃子)
※この「唄」の解説は、「赤田首里殿内」の解説の一部です。
「唄」を含む「赤田首里殿内」の記事については、「赤田首里殿内」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:56 UTC 版)
お使いのブラウザでは、音声再生がサポートされていません。音声ファイルをダウンロードをお試しください。 ※歌い手の訛りによっても、歌詞の聴こえ方を正確に記述することができず、また現在日本語の書き方で琉球方言の書き下しを完全にできない以上、歌詞の一例を示すものに留まる。1行目=読み方、2行目=工工四などで残されている歌詞、3行目=現代日本語訳を表す。 一. つきぬかいしゃ とぅかみっか月ぬ美しゃ 十日三日〈月が最も美しい一三夜―――まだ満ちていない頃〉みやらびかいしゃ とおななつ女童美しゃ 十七ツ〈乙女が最も美しい一七歳―――まだ成熟していない頃〉ほーいちょーが 二. あがりからあがりょる うふつきぬゆ東から上がりょる 大月ぬ夜〈東から上る 満月の夜〉うちなん やいまん てぃらしょうり沖縄ん八重山ん 照ぃらしょうり〈沖縄を 八重山を 照らしてください〉 ほーいちょーが 三. あんだぎなーぬ つきぬゆるあんだぎなーぬ 月ぬ夜〈あれほどの美しい月の夜〉ばがげら あしょびょうら我がげら 遊びょうら〈みんな今日は宴をしよう〉 ほーいちょーが 四. てぃらぬ うふだんが いちゅばな寺ぬ大札んが 絹花〈寺の大札に 絹のような花〉くがにばな さかしょうり黄金花 咲かりょうり〈黄金のような花 咲かせてください〉 ほーいちょーが 五. びらまぬやーぬ あんたんがぴらまぬ家ぬ 東んたんが〈愛しいあなたの家の 東側に〉むりくばなぬ さかりょうりむりく花ぬ 咲かりょうり〈ジャスミンの花を咲かせましょうね〉うりとり かりとり なつぃきばしうり取り 彼り取り なつぃきばし〈それを採り あれを採るふりをして〉びらばぬやーぬ はなぶんなーびらまぬ家ぬ花ぶんなー〈愛しいあなたの家の花〉 ほーいちょーが 六. みやらびやーぬ むんなんが女童家ぬ 門なんが〈娘の家の門のそばに〉はなしみてぃさしば きりおとし花染手布ば 切り落し〈花染めの手ぬぐいを落として〉うりとり かりとり なつぃきばしうり取り 彼り取り なつぃきばし〈それを採り あれを採るふりをして〉びらばぬやーぬ みまいす女童家ぬ 見舞いす〈娘の家に伺います〉 ほーいちょーが
※この「唄」の解説は、「月ぬ美しゃ」の解説の一部です。
「唄」を含む「月ぬ美しゃ」の記事については、「月ぬ美しゃ」の概要を参照ください。
唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:17 UTC 版)
ハルの手引きを務め、晩年身の回りの世話をした山田シズ子によると、ハルは瞽女の中でも滅多にいない、低く太い、響き渡るような声を持っていた。画家の木下晋は、初めてハルの唄を聴いたとき、唄声そのものはさほど大きくなかったにもかかわらず、側の障子がビリビリと震えたことに驚いたと述べている。下重暁子は「整ってはいず、破れているのだが、それが迫力となって体全体から伝わってくる」、「どこにも曲がらずビブラートもなく、真正面から」、「一直線に鼓膜を突き破ってくる」ハルの唄声は瞽女の中でも全く異質な、独特のものではないかと感想を述べている。川野楠己は、1995年(平成7年)10月に三条市で行われた公演でハルの唄を聴き、「マイクを使っているわけでもない。にもかかわらず、その声はリズムを伴って心地よく聴衆の耳を打つ。その声は見事に透き通って聞こえた。美声ではない。しかし言葉の一つ一つがはっきり理解できる長年鍛え続けた者だけが出せる見事な節回しの声」と評した。民俗学者の佐久間惇一は、ハルの声を「一度つぶしてから出す腸から出る声」と評し、同じ瞽女でも比較的順境に育った者の声とは全く違うとしている。晩年の弟子である竹下玲子は、初めてハルの唄声を聴いたとき、「日本のベルカント唱法かもしれない」と感じたという。竹下によると、弟子入りした際に竹下をはじめ声楽を学んだことのある3人がハルとともに唄ったところ、3人の唄声はうわずり、聴こえるのはハルの唄声だけであった。 下重暁子によるとハルが唄う際の調子は一定しており、抑揚をつけたり声を弱めることはしなかった。白洲正子はハルの唄について「どちらかと云えば一本調子、無心に歌いこんで行く」と評し、それが「却って人の心を掻き乱」す、「ふつう盲人は、お琴や地唄の師匠でも、陰にこもった一種独特の音調を持つものだが、彼女の場合は、屈託がない。その調子のままで、身を切るような物語を語る」、「後にも先にも私はハルさんの唄しか聞いたことがないので、それは何ともいえないが、変に説明的で、哀れっぽくないのが印象に残り、すべからく名人とはそういうものではないかと思った」と感想を述べている。弟子の竹下玲子が「唄う時、感情はいれないんですか」と質問した時、ハルは「入れない方がいい」と答えたという。 弟子の萱森直子によると、ハルは同じ唄を3通りの節で唄いわけることができた。萱森は、師匠を変えたことが影響しているのだろうと推測している。ハルによると、同じ唄でも組織によって節や文句が微妙に異なり、ハツジサワの弟子となって三条から長岡に移った時には他の瞽女に合わせて唄ったり演奏するのに苦労したという。 ハルは「一度聞けばたいていのことは憶える」ほど記憶力がよく、唄を難なく覚えることができたという。佐久間惇一は、新発田市教育委員会が企画したハルの瞽女唄保存事業に携わった際、ハルが数百もの唄を覚えていたことに驚き、「見えないから、その分だけ頭に入れていたんだろう。よく覚えていたものだ。少し聞き出すとハルさんは次々に瞽女唄を語りだす」と周囲に語った。音楽学者ジェラルド・グローマーはハルが唄った『阿波徳島十郎兵衛』と『葛の葉子別れ』について、1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけて収録されたものと1996年(平成8年)に収録されたものとを聴き比べ、20年余りを経て「新旧の演奏の間に相違点は意外に少ない」と評価している。 ハルは前述のように放送作家若林一郎の紹介で弟子入り志望者を指導したことがあるが、その中で唄を覚えることについて次のように話した。 あんた方は、唄の文句を字に書いておくすけ、瞽女唄を覚えられん。後でそれを読めばいいから雑作もないことだと思っているだろう。だから、なかなか覚えられないんだ。一度聞いたら一度で覚えろ。私どもは、これを字に書かないでおいて文句から節まで一緒に覚えていったもんだ。それは容易なことではなかった。自分でも、寝ても起きてもそのことだけを考えて、余計なことを思わないようにしてきたものだった。あんた方は、目が見えるすけ、なおさら覚えられないんだ。書いてあるからいいんだと思って、そのときは早く済むけど、覚えてはいないんだ。 — 小林・川野2005、138-139頁。 ハルの唄は自ら進んで覚えたものでも、楽しんで覚えたものでもなかった。ハルは唄うことについて、「唄が楽しいなんて思ったことは一度もない、どの唄好きということもない。仕事だすけ唄うだけだ」、「目がみえたらちがうだろうが、何々好きなんて考えられねえ」と述べ、とくに修業時代については、「楽しいことなんか、何もなかったわネ」と振り返っている。一方で、唄の上手い瞽女がいると聞くと習いに行こうとする意欲があった。ハルのレパートリーは多岐にわたり、祭文松坂の他にも鴨緑江節などのはやり唄、常磐津節、新内節、清元節、義太夫さわり、長唄、端唄、三河萬歳、和讃、都都逸を唄うことができた。各地で聞き覚えた唄をもとに新たな祭文松坂を創作することもあった。ちなみにハルは胎内やすらぎの家で民謡クラブに所属しており、「民謡や流行り歌は、むずかしい」と感想を漏らしている。
※この「唄」の解説は、「小林ハル」の解説の一部です。
「唄」を含む「小林ハル」の記事については、「小林ハル」の概要を参照ください。
唄
唄
「唄」の例文・使い方・用例・文例
- 私はあなたにその子守唄を歌って欲しい。
- 彼女は男の子に子守唄を歌った。
- 私の娘が唄を歌いたいと言った。
- 彼女が唄を歌いたいと言った。
- 私は唄の伴奏をする。
- 私の友達があなたが好きな歌を唄いました。
- アンは妹のために子守唄を歌ってあげた。
- 彼は太鼓の撥(ばち)を捌きながら美しい声で民謡を唄った.
- 長唄: 杵屋社中.
- 今さら引かれ者の小唄でもあるまい.
- 唄を歌う
- 唄を歌って聞かせんか
- 彼は唄が上手だ
- 三味線に合わして唄を歌う
- 唄に譜を付ける
- 唄の節つけをする
- 彼の唄は乱調だ
- 手鞠唄
- 寅年に因んだ唄
- この唄を聞くと涙を催す
唄と同じ種類の言葉
- >> 「唄」を含む用語の索引
- 唄のページへのリンク