団地線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:31 UTC 版)
「東急バス虹が丘営業所」の記事における「団地線」の解説
た41:たまプラーザ駅 - 平津三叉路 - 保木 - すすき野団地 - 虹が丘営業所 歴史 1974年(昭和49年)5月29日 - たまプラーザ - 平津三叉路 - すすき野団地系統開設。高津営業所所管。 1986年(昭和61年)8月23日 - 虹が丘営業所開設に伴い所管変更。行き先を虹が丘営業所まで延伸。平日土曜の深夜バス運行開始。 1987年(昭和62年)5月10日 - 保木・すすき野入口間に蓬谷戸停留所を新設。 2001年(平成13年)11月16日 - 系統番号(た41)が付与。 たまプラーザ駅とすすき野団地・虹が丘営業所を結ぶ、虹が丘営業所の主要路線である。終日本数が多い。沿線に団地があるので利用者は多い。た41系統で往復する運用のほか、たまプラーザ駅、鷺沼駅発着路線(たまプラーザ駅 - 鷺沼駅は回送)の一部便も出入庫を当路線で行っている。平日土曜は虹が丘営業所行深夜バスがある。
※この「団地線」の解説は、「東急バス虹が丘営業所」の解説の一部です。
「団地線」を含む「東急バス虹が丘営業所」の記事については、「東急バス虹が丘営業所」の概要を参照ください。
団地線(深夜バスのみ鷺21系統)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:31 UTC 版)
「東急バス虹が丘営業所」の記事における「団地線(深夜バスのみ鷺21系統)」の解説
鷺21:鷺沼駅→鷺沼公園→たまプラーザ駅→あざみ野駅→もみの木台→虹が丘団地→虹が丘二丁目→虹が丘営業所(深夜バス) 田園都市線下り渋谷発鷺沼行き最終電車に接続する深夜バスで、平日のみの運転。客数によっては増車もある。 書類上は団地線に含まれるが、あざみ野駅より先はあ28系統と経路が重なり実質あざみ野線の最終バスである。なおこのバスの開設に伴い江田駅 - 鷺沼駅入口 - たまプラーザ駅系統廃止で一度消滅した鷺沼小学校・鷺沼公園前・大坪の停留所が復活した。
※この「団地線(深夜バスのみ鷺21系統)」の解説は、「東急バス虹が丘営業所」の解説の一部です。
「団地線(深夜バスのみ鷺21系統)」を含む「東急バス虹が丘営業所」の記事については、「東急バス虹が丘営業所」の概要を参照ください。
団地線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 22:51 UTC 版)
光31:成増駅南口 ( → 地下鉄成増駅 → ) - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘IMA - 光が丘駅 練高01:成増駅南口 ( → 地下鉄成増駅 → ) - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘IMA - 光が丘駅 - 光が丘三丁目 - 谷原三丁目 - 練馬高野台駅 練高02:成増駅南口 ( → 地下鉄成増駅 → ) - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘IMA - 光が丘駅 - 光が丘三丁目 - 谷原三丁目 - 練馬高野台駅 - 南田中車庫 (成増駅発のみ深夜バスあり。) 米軍グラントハイツ跡地に建設された光が丘団地の入居開始にあたり、関係者の協議で西武バスが東武東上線に、国際興業バスが営団地下鉄有楽町線に、それぞれ連絡する路線を開設することが決定した。これを受けて1984年4月28日に開通したもので、当初は豊12・13(成増駅 - 光が丘団地 - 豊島園)だったが、開通から2年を経て成増側からの光が丘三丁目までの折返し便として豊12-2が新設された。1987年に大型商業施設「光が丘IMA」が完成すると、光が丘IMAを経由する豊16(成増駅・成増町 - 光が丘IMA - 光が丘三丁目)と谷原二丁目を経て練馬駅に至る練44(→練高01)が新設された。この時点では成増駅南口のロータリーが整備されておらず、整備が完了した1991年4月1日に全便が成増駅南口発着となるまで、朝と夜は成増駅着・営団成増駅発で、日中は川越街道上の成増町が終点だった。 その後、暫定開業した都営地下鉄12号線との並行区間のある豊12が廃止、日本大学医学部付属練馬光が丘病院(現・地域医療振興協会練馬光が丘病院)の開院による豊16の同病院乗り入れ、および団地の南側を経て病院に至る豊17の新設が実施された。1997年12月に都営地下鉄12号線が1997年12月19日に新宿まで延伸すると、地下鉄への接続強化と光が丘三丁目折返場が廃止された(後述)ことにより、1998年4月に豊15を光が丘駅へ乗り入れて光31に。豊17を光が丘駅へ立ち寄るように変更して光32とする事にした。ただし、光32は2012年4月1日に廃止された。 ここまでに開設された系統は、練馬駅発着便を除き、すべて系統番号に「豊」の文字を冠していた。これは、開通当初の本線である豊12の起点、豊島園を示すもので、この記号を支線に相当する系統にも使用していたため。当線における「豊」系統は以下の通り。 豊12:成増駅 - 光が丘団地 - 豊島園 豊13:南田中車庫 - 光が丘団地 - 成増駅 豊14:南田中車庫 - 光が丘三丁目 - 豊島園 豊15:成増駅 - 光が丘七丁目 - 光が丘三丁目 豊16:成増駅 - 光が丘IMA - 日大練馬光が丘病院(1992年9月15日までは光が丘三丁目発着) 豊17:成増駅 - 光が丘七丁目 - 日大練馬光が丘病院 豊12廃止以降は改正を機に、これを他の駅を示す記号で置き換えるようになり、1994年の練馬高野台駅開業による改正、1998年の光が丘駅乗入れ改正を経て、現在「豊」という記号は消滅。光が丘団地への路線はこれ以外にも、吉60が「吉祥寺駅 - 成増町 - 光が丘IMA - 光が丘三丁目」の路線で運行していたが、光が丘三丁目折返場の廃止・および成増を通し利用する乗客の減少により、1998年4月に成増町 - 光が丘三丁目が短縮された。 詳細は「西武バス上石神井営業所#成増吉祥寺線」を参照 2012年4月1日のダイヤ改正では、以下の運行内容変更が行われた。これにより光が丘駅 - 西武池袋線の駅の間の連絡強化を図っている。 光31を光が丘七丁目・光が丘三丁目経由から光が丘IMA経由へ変更し、経路を短絡。 練高02以外の深夜バスを廃止。 練高01・02を光が丘七丁目経由から光が丘IMA・光が丘駅・光が丘三丁目経由へ変更。 2020年3月1日、練高01・02・深夜バスの練馬高野台駅・南田中車庫行の経路が変更され、光が丘駅停留所には乗り入れなくなった(成増駅行は従来通り)。 光が丘三丁目折返場について 1984年4月28日の光が丘団地線開業時に、「都営地下鉄12号線が開通するまで」との条件で折返場の土地が練馬区から西武バスに貸し出され、開設されたものである。都営地下鉄12号線は1991年に光が丘 - 練馬が暫定開業したが、この時は地下鉄への乗客の転移は少なく、バスの運行に大きな影響はないと判断され、貸し出しは継続した。1997年12月の新宿延伸開業によって利便性が向上したため、この年の年度末に当たる1998年3月31日を最後に折返場土地は練馬区へ返還されて、折返場は廃止。光が丘三丁目発着路線は廃止・または成増まで短縮された。跡地は現在、「夏の雲公園」の一部になっている。
※この「団地線」の解説は、「西武バス練馬営業所」の解説の一部です。
「団地線」を含む「西武バス練馬営業所」の記事については、「西武バス練馬営業所」の概要を参照ください。
団地線(一部系統の廃止)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 22:51 UTC 版)
「西武バス練馬営業所」の記事における「団地線(一部系統の廃止)」の解説
豊11:豊島園 - 練馬春日町駅 - 練馬高校 - 下赤塚駅 - 成増駅 2003年4月1日の練馬駅北口ロータリー完成によって、練47へ代替廃止された。 豊12:豊島園 - 光が丘団地 - 成増駅 1991年の都営地下鉄12号線暫定開業によって廃止された。 豊13:南田中車庫 - 光が丘団地 -(←営団成増駅)- 成増駅 豊14:南田中車庫 - 光が丘三丁目 - 練馬高校 - 練馬春日町駅 - 豊島園 1984年の光が丘団地線開業と同時に新設された。2003年4月1日の練馬駅北口ロータリー完成によって、練46へ統合廃止された。 豊15:成増駅 - 光丘高校 - 光が丘七丁目 - 光が丘三丁目 1998年4月1日の光が丘三丁目折返場廃止により、光31に代替廃止された。 豊16(初代):成増駅 - 光丘高校 - 光が丘IMA - 光が丘三丁目 豊16(2代):成増駅 - 光丘高校 - 光が丘IMA - 日大練馬光が丘病院 豊17:成増駅 - 光丘高校 - 光が丘七丁目 - 日大練馬光が丘病院 光32:成増駅南口 - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘七丁目 - 光が丘三丁目 - 光が丘駅 - 日大練馬光が丘病院 2012年4月1日に廃止された。
※この「団地線(一部系統の廃止)」の解説は、「西武バス練馬営業所」の解説の一部です。
「団地線(一部系統の廃止)」を含む「西武バス練馬営業所」の記事については、「西武バス練馬営業所」の概要を参照ください。
- 団地線のページへのリンク