国家機構と官制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:45 UTC 版)
特権的な貴族層が、全国の人民を直接支配するためには、中央から地方の末端にいたるまでの体系的な行政・司法の機構を必要とした。 武家法と異なる律令法の特色の一つは、この体系的な国家機構および官僚制度の精密な規定にあった。それはいちじるしく形式主義的な官制となってあらわれている。 中央政府は二官、八省、一台、五衛府で構成され(二官八省)、各省は職、寮、項目名司の名をもった若干の官庁をしたがえている。これらの官庁は原則として長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)の4等級の官吏で構成され(四等官)、それぞれの権限も法によって規定されている。この精神は、地方政府組織の末端にいたるまで貫徹し、全体の官僚機構は、相互に秩序ある階層制によって連結された官庁から成っていた。その形式主義的な機構は、行政の慣行と経験に基づいて形づくられた武家法の官制といちじるしく相違しており、律令法の基本的特徴の一つをなしている。 律令法では、行政官と司法官の区別はなかった。以上の行政機構は同時に司法の体系であるのを特色とした。下級の裁判所は、地方では郡司、京では諸司であり、その上に地方では国司、京では刑部省があり、最後に太政官と天皇があった。 裁判所の管轄は刑の軽重によって区別され、笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)の5種があった。これを五刑又は五罪と言った。 郡司は笞罪のみを決し、 在京諸司は笞罪・杖罪を決し、 国司は杖罪、徒罪、 刑部省は徒罪、 太政官は流罪、 天皇は死罪 を決するという規定であった。
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