国有地の無償貸与と譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「国有地の無償貸与と譲渡」の解説
1888年の磐梯山噴火では小磐梯の崩壊に伴う山体崩壊で檜原村細野、雄子沢、秋元原の3集落は岩屑なだれの下に埋もれた。また磐梯山東麓でも若宮村名家は泥流に畑地が埋まり生活が困難となった。そして蚕養村白木城、磐瀬村渋谷では、琵琶沢が集落近くを流れるようになって、雨が降るたびに土砂が集落付近に流れ下るようになった。その上、琵琶沢からの多量の土砂供給が続く影響を受けて長瀬川の流れが変わって危険となったため、集落移転の話が持ち上がった。 そうこうするうちに新たな問題が持ち上がった。檜原村で岩屑なだれの直撃を免れた3集落のうち、小野川、檜原本村が河道閉塞の影響で湛水が始まった湖の底に沈む見通しが明らかとなったのである。このように移転を余儀なくされた各集落のために、国有地の無償貸与、そして譲渡の方針が打ち出された。1888年(明治21年)10月24日、農商務省は国有地の原野を各戸3町歩まで無償で貸与し、家の再建と開墾に成功した場合、やはり無償で譲渡するとの内容の指示を行った。この指令は湖の形成が一段落し、集落移転も落ち着いた翌1889年(明治22年)12月3日に、既に同指令に基づき国有地の無償貸与を受けていた被災者のみの適用として、新たな貸与は中止された。
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