国際線運航開始とは? わかりやすく解説

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国際線運航開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 04:00 UTC 版)

日本航空の歴史」の記事における「国際線運航開始」の解説

1954年2月2日には同社初で、第二次世界大戦後の日本航空会社としても初の国際線となる東京羽田) - ホノルル - サンフランシスコ線の運航開始した。さらに同年2月5日には当時アメリカはじめとする連合国軍占領下にあり、「国際線扱いであった沖縄線(羽田空港 - 那覇空港間)の運航開始した運航開始当初は、新鋭機を揃えしかも長年実績があり信頼性の高いパンアメリカン航空ノースウェスト航空英国海外航空との競争苦戦した。機数が少なく、よく出発到着遅れたため「Just Always Late(いつも遅れる)」と揶揄された。戦後直ぐということもあり「神風パイロット操縦するのか」と罵倒されるなど、ほとんど乗客数一桁二桁だと大喜びという有様だった。社員必死イメージ回復戦略を行う。さらに1954年2月にはIATA決定によりこれまでのファーストクラス合わせてエコノミークラス設置許可された上に、ニューヨークサンフランシスコホノルルロサンゼルスなどアメリカ主要都市相次いで営業所開設してその後1955年度には国際線国内線とも黒字転じたまた、新たな国際線機材として当時最新鋭機種であったダグラス DC-7C型機を導入した他、整備グランドハンドリングの子会社設立するなど自社整備体制となった。 なお、この頃より、皇族首相閣僚海外公式訪問国内移動の際に日本航空特別機頻繁に使用されることになり、1954年8月には、北海道開かれた国民体育大会開会式から帰京する昭和天皇香淳皇后のために、初の皇族向け特別機千歳空港-羽田空港間で運航された。これは天皇として史上初の飛行機による移動であった。なお、これ以降皇族政府首脳向けの特別機運航された上、1992年ボーイング747-400型機2機が日本国政府専用機として導入され以降も度々運航されている。 1955年12月には、先にキャンセルしたデ・ハビランド DH.106 コメットII型機に代わるジェット旅客機として、過去導入実績のあるダグラス社のDC-8型機4機の導入正式に決定した。なお、当時日本航空および日本政府外貨準備高まだまだ低かったこともあり、その購入資金4分の3アメリカ輸出入銀行とダグラス社からの借款によって調達した。 なお、太平洋横断路線における最大ライバルであるパンアメリカン航空一足早く1959年9月ボーイング707-120型機を太平洋横断路線東京-サンフランシスコ線)に投入し所要時間大幅に短縮した上、1便当たりの旅客数大幅に増加させたものの、日本航空は翌1960年7月までダグラスDC-8納入されなかったことから、多く乗客パンアメリカン航空奪われた。

※この「国際線運航開始」の解説は、「日本航空の歴史」の解説の一部です。
「国際線運航開始」を含む「日本航空の歴史」の記事については、「日本航空の歴史」の概要を参照ください。

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