城塞都市とは? わかりやすく解説

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城郭都市

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 03:59 UTC 版)

城郭都市(じょうかくとし)[1][2]とは、城壁[3]で周囲を囲み堅固に防御した都市を指す 。土塁なども防御施設として用いられる。


  1. ^ 城壁都市(じょうへきとし)、囲郭都市(いかくとし)とも呼ばれる。フランス語でville fortifiée、Cité fortifiée、ville avec rempart、英語ではwalled city、fortified city、ドイツ語でbefestigte Stadt 。
  2. ^ 城塞都市(じょうさいとし)と呼ぶ場合もある。ただしこの場合の城塞はcitadelの意味ではない。
  3. ^ 城壁は仏:fr:muraille、rempart、英:city wall、独:Stadtmauer という。
  4. ^ なお、ラテン語で「tra」、フランス語で「tre」と記述されているものを英語に移入する場合は、「ter」とするのが典型的なパターンである。なお、イギリスはというのはノルマン人(=フランス西岸の民族)が支配し王となっていた歴史があるので、英語はフランス語起源の語彙が非常に多い。
  5. ^ 東ヨーロッパの境界あたりを移動していた遊牧民・狩猟民なども攻め入ってくる可能性があり、実際ヨーロッパはそうしたことを歴史上何度も経験しており、ヨーロッパ人にとっては常に心配の種で、おまけに13世紀には遥か彼方のモンゴルのチンギス・ハンやその子らの軍が地球を半周ほどもして怒涛の勢いでヨーロッパに迫った出来事があり、攻め入った村々の住民を大人だけでなく幼児・赤子まで情け容赦なく皆殺しにしてしまう この東アジアの民族の到来にヨーロッパの人々は心底震えあがり、その恐怖は彼らの心・文化に深く刻み込まれた。
  6. ^ ヨーロッパの城郭都市では、門限が定められていて、その時刻になると門扉が閉じられ、翌朝までは入ることができないとりきめになっていることが一般的であった。うっかり知り合いだからと扉を開けて、それが悪人にそそのかされたりして手先となった人で、悪人たちが複数名飛び込んできたりすると、もう都市を守ることができなくなってしまうからである。商人など離れた都市に仕事で出向く生活をする者、日中に外に遊びにゆく者たちもいたが、門限には注意を払う必要があり、遅刻してしまうと内側に入れてもらうことはできず、遅刻してしまった者は、門扉の近くの城壁ぎわなどでたき火などをしつつ、(それなりの金額のお金を持っている商人などは特に心細い想いをしながら)夜をすごす必要があった。17世紀や18世紀の作家が書いた文章などには、そうした状況の描写などが盛り込まれているものも結構あり、どうやら遅刻する者は日常的にいたようで、遅刻した者同士が夜通し語りあうことでひょんな縁が生まれる様子が描かれているものもある。
  7. ^ クヘンディズ コトバンク
  8. ^ IV. Türkiye Lisans Üstü Çalışmalar Kongresi: Bildiriler Kitabı - III”. Türkiye Lisansüstü Çalışmalar Kongresi(トルコ大学院研究会議?). 20220907閲覧。:145-153
  9. ^ 日本の「城」を意味する用語(:castle、:château、:Burg / Schloss など)は封建領主の居館を兼ねた軍事施設のことである。
  10. ^ 日本では、「城」という言葉は、城塞(citadel)に近い建築(城館)を指すことが多い。しかし、防衛施設の堀や柵や土塁を指して「城」と呼ぶ例もある。
  11. ^ a b 布野修司 traverse編集委員会(編)「作品としての都市:都市組織と建築」『建築学のすすめ』昭和堂 2015 ISBN 9784812215135 pp.197-198.
  12. ^ 赤星 1959
  13. ^ 赤星 1972
  14. ^ 「国指定史跡 名越切通」逗子市公式HP
  15. ^ a b 岡 2004 pp.41-64
  16. ^ 齋藤 2006 pp.184-185


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城塞都市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:34 UTC 版)

パンプローナ」の記事における「城塞都市」の解説

1512年カスティーリャ王国による軍事侵攻の際、敗北したナバーラフアン3世フランスへ逃亡その後奪回ことごとく失敗してしまった。ナバーラ開催されコルテスは、ナバーラ自治権独自性維持条件に、併合受け入れた以後パンプローナ名目上ナバーラ王国首都であり続けたパンプローナは、ピレネー軍事防衛における鍵の役割得たのである。市の南側弱くナバーラルイス1世フランス王ルイ10世)は14世紀初頭にこの地に城を建設した。これが現在知られているカスティーリョ広場である。カスティーリャによる併合後、フェルナンド5世1513年に、中世の城と非常に近接した場所にある新しい城の廃棄命じた。しかし、大砲進化要塞化システムの完全な刷新要求したフェリペ2世市南側に星型要塞建物建設と、全ての城壁現代化命じた16世紀終わりから18世紀にかけて建てられ城壁は現在も残っている。 18世紀の間、パンプローナは相当に美化され都市サービス改善された。途切れのない上水道完備され、その他の強化混じって通り舗装された。裕福な貴族商人自分たちの邸宅建てた19世紀、この要塞化都市スペイン巻き込まれ幾多戦争重要な役割担ったスペイン独立戦争では、フランス軍1808年パンプローナ占領し1813年まで駐留していた。カルリスタ戦争1833年-1839年1872年-1876年)では、パンプローナそのたびごとに自由主義者らに管理された。一部ナバーラ自由主義者が主にパンプローナ住んでいたからではなく政府支配する要塞都市だったからである。カルリスタ田舎ほどたやすく支配したけれども、政府軍ナバーラ城壁囲まれ都市支配するのに何の問題もなかった。それにもかかわらずカルリスタ戦争末期には、現代的な大砲は、古い城壁がより強い敵と対峙するのに十分でなかったことを示す、周囲山地からカルリスタによって操作された。そして、政府パンプローナ3kmサン・クリストバル山頂上に、サン・クリストバル砦の建設決めた軍事的な役割のため、市はベルトのように取り巻城壁の外へ拡張することはできなかった。さらに、城壁近接する一帯建物は、攻囲軍のためどんな利益避けるよう禁じられた。市は住宅密集地の増加によってのみ成長したのだった高く狭い住宅建てられ田園地帯次第失われた19世紀道路輸送改善され1860年には鉄道つながったそれにもかかわらずパンプローナ産業ナバーラ全体同様に産業革命の間弱々しかった。いずれにせよ閉じこめられ要塞都市ではなんの産業の発展実行しそうもなかった。 星型要塞わずかな修正1888年6区拡張するのが許可された後、第一次世界大戦パンプローナ強化システムが既に廃れていたことを論証した1915年、軍は城壁破壊許可し、市周囲の建物制限廃止した。壁の南側破壊されその他の三方都市成長妨げないよう残された。星型要塞1964年まで軍事設備として使用され続けたが、それは兵舎としてだった。

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城塞都市

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ニジニ・ノヴゴロド」の記事における「城塞都市」の解説

1392年ニジニ・ノヴゴロド公国モスクワ大公国屈してその一部編入された。ニジニ・ノヴゴロド公はシュイスキーの名を得モスクワの大貴族となり、後には全ロシアのツァーリになる者も現れた(ヴァシーリー・シュイスキー)。ヴォルガ・ブルガール屈服させヴォルガ中流にまで勢力伸ばしたジョチ・ウルス将軍エディゲは、1408年にはニジニ・ノヴゴロド攻略し焼き払ったその後再建されニジニ・ノヴゴロド難攻不落クレムリン城砦)は、カザン・ハン国侵入対す最強の砦となった。現在見ることのできる巨大な赤レンガクレムリンは、1508年から1511年にかけてイタリア人ピョートル監督により建設された。1520年1536年にはカザン・ハン国攻められたがこれを撃退したニジニ・ノヴゴロドまた、東西交易ヴォルガ川交易でも栄えた

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