墓所・肖像
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墓所 法号は常徳院悦山道治。没後は相国寺常徳院に葬られたが、後に大光明寺に改葬された。現在も同寺にその墓は現存する。 肖像 肖像画 - 騎馬武者姿の地蔵院本(重要文化財)と、束帯姿の天龍寺本が伝存する。地蔵院本は、長らく土佐光信の筆による足利尊氏像とされてきたが、1937年(昭和12年)に谷信一が『蔭涼軒日録』の長享元年(1489年)9月12日の条にある、近江出陣における義尚の格好に一致することを指摘し、同肖像画を義尚像と推定した。天龍寺本も寺伝では足利尊氏像とされているが、特徴的な容貌が地蔵院本と近似しているため、義尚像と考える研究者が多い。 木像 - 等持院像、鑁阿寺像
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墓所・肖像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:21 UTC 版)
墓所 法号は光源院融山道圓。供養塔が山口県山口市の俊龍寺にある。 肖像 肖像画国立歴史民俗博物館本(直垂姿。重要文化財) 真正極楽寺本(歴博本と同図様) 光源院本(束帯姿) 益田家本(束帯姿) 他に、源弐(土佐光吉)の写したという頭部の下絵(紙形)が京都市立芸術大学所蔵の土佐家資料の中に現存する。国立歴史民俗博物館本や真正極楽寺本は、これを粉本として制作されたと考えられている。 木像 - 等持院像、鑁阿寺像
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